日本マラソンの父

2004/08/23

雑学

d45d9645.jpg野口みずき選手が女子マラソンを制したそうで、おめでとうございます。
ただ誰も優勝できなくて「高橋尚子が出ていれば」的なゴタゴタが再燃することをウッスラと望んでいた僕としてはちょっとがっかり。

そんな後ろ向きなことを言っていても仕方ないので、日本マラソンについての雑学を一つ。

日本人が一番初めにオリンピックに参加したのは、1912年のストックホルム大会。
400mとマラソンの選手の二人。で、そのマラソンの選手が金栗四三(かなぐり・しぞう)という人なんですが、ストックホルム大会では日射病で途中棄権をしちゃったそうなんです。
倒れて現地の人たちに介抱されてたらしいんですが、棄権の連絡がいかずに行方不明扱いにされてしまったみたい。マラソンが終わっても帰ってこない日本人がいるということで現地の新聞に「消えた日本人選手」と書かれたり、結構な騒ぎになってた模様。ただ金栗さんはもう日本に帰っちゃった後だったらしいですが。

で、ここで終われば笑い話なんですがそこで終わらなかった。
舞台は1967年、再びストックホルム。
ストックホルムオリンピック55周年祭が行われ、一人の男がゴールテープを切る。
金栗四三、75歳。
ゴールテープを切ったと同時に「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。これにて第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました」とアナウンスされた。
ゴールの感想を求められた金栗は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」と答えた。

ちょいと小粋でいい話。

↓金栗四三記念館のHP?たぶん
http://www.edu-c.pref.kumamoto.jp/sh/tamanash/kanakuri/kanakuri.htm

と、まぁ、アッコにおまかせを見てたらやってたネタですがね。

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