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【#4 ex1】F 爺の詭弁を説明するスライドと動画
2021/09/03
ディベート
ひろゆきvsF爺
本エントリは資料置き場です
【#4】ひろゆき vs F爺、F 爺の言説は典型的詭弁だよ
F 爺の論理展開は、相手の言葉を曲解し、その仮定の上で議論を進めようとする典型的詭弁です。 「ダブルスタンダードの大詭弁」か「ストローマン論法の詭弁」か、結局どっちに転んでも詭弁、という状態です。それを説明します。
このエントリの内容をスライドと動画にした説明資料置き場です。
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1,734 件のコメント:
«最後 ‹次 801 – 1000 / 1734 前› 最新»comment id : 5221413680839057265
浅いねー
comment id : 72144725828348560
> kyouikuteki さん
> 「使う」ことを否定するので「使わない」という文意になるのが自然だと思います。
> なので、「よく」使うこと(つまり頻度の否定)であれば、それなりの補足が必要だと思います。「使うけど、『よく』ではない」などの言い方をするなど。
「まぁまぁ使います」が補足になっていると思うのですが。
私なら「よく使うのは何かの間違いでしょう。(使うけど『よく』ではなく)まぁまぁ使うぐらいです」のように読みます。
>そういうレッテルを貼られるような人って、多数派ではないですよね。
>「あなた、そんなことしたら無教養だと思われますよ」
>ってレッテル貼りするなら、それは無教養が少数派、マイノリティでないと成り立たないですよね。
>
> つまりレッテル貼りするってことは、マイノリティである、アブノーマルである、というレッテル貼りをするってことです。
> 結果的に、レッテル貼りは少数派という意味に取られても仕方がありません。
※以下、単純化のため「無教養」だけを取り上げます。
レッテルを貼る場合は言葉自体の意味が重要で、数は気にしないと思うのですが。
私が誰かに「無教養」というレッテルを貼るとしたら、その人に「教養が無い」ことを言いたいだけで「少数派」といった意味は含みません。
ブログ主さんの「少数派」へのこだわりは「烙印を押される」の認識にも関係があるように思います。
スライドやYoutubeのコメントを拝見するとブログ主さんは以下のように認識されてますよね。
putainを使うと無教養と烙印を押される = putainは無教養(少数)の人しか使わない
無教養の烙印を押されたからといって実際に無教養になる訳ではありません。
教養があったとしても「教養が無いような人である」と他人から認識されたり扱われたりするだけです。
無教養と烙印が押されるのは「実際に無教養な人」と「教養があるのに無教養な人と同様のふるまいをした人」だと思います。
つまり上の=は成立せず、「無教養の人しか使わない」と限定している訳ではないと思います。
「烙印を押される」の意味はimidasだと以下の通りです。
消し去ることのできない汚名を受ける。不名誉な評判を立てられ、そうであると決められてしまう。
「祖父は戦時中も戦争に反対したので、売国奴との烙印を押され、弾圧されて、生きるだけでもたいへんだったそうです」
上の例文で祖父は実際に「売国奴」でしょうか?
>> ブログ主さんは「広く使われる」の否定に続いての文章なので『「無教養」…』が
>> 「少数派」を表わしていないと変だというお考えでしょうか?
> 上記の説明により、変だと思います。
原文です。
「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。」
不自然に感じられるかもしれませんが、「単なる…」以降は「強調のためによく使われる」を否定している「理由」を述べているだけだと思います。
実際どの程度使われているかについては述べていないと思います。
comment id : 44689068441128127
正論屋、いい加減飽きられてるな
フォロワーじわじわ減ってて草なんだ
所詮はひろゆきのフンにすぎない
comment id : 8249984531708877787
Kyouikutekiさん、
ひろゆきとF爺の議論は「よく使うかどうか」なのですが、F爺を擁護している人はこのことを認めようとしません。
F爺の意図とか、「文言そのものより、真意を捉えなければいけない」というのもこの議論を避けるためなのだと思います。
理由は二つあり、一つはF爺は主張の根拠を示していない。もう一つは「ほとんど使われない」をF爺の代わりに示すことができない。
私にはF爺の文章はputainを使うと無条件に最下層階級になると読めます。
もちろん「馬はこの道を通ってはいけない」のように条件として理解することもできます。
「強調のために」を「〜のため」という条件があると読むとおかしな点が2点あります。
1、最下層階級
条件を満たせば上層階級の人も使うことができます。
上層階級の人が下層階級の人の言葉を使うことになってしまい、矛盾します。
2、強調のために
ひろゆきの「よく強調のために使われる」が「よく使われる」という主張ならば強調は一つの例です。ひろゆきは賞賛の意味で使われると言っていることからも「よく使われる」という主張であることがわかります。
だから強調の用法を否定できたとしても、今度は驚きや怒りの表現として使われるという別の例を出すことができます。F爺は「よく使われる」を否定できていないので、驚きや怒りの場合にどうなるのかを説明しなければいけません。
よく使われるを否定するなら、いやほとんど使われないと言うしかありません。
それを「強調の場合には使われない」と言っても「じゃあそれ以外ではよく使います」ということになります。
F爺は日常で使うかどうかの議論になると論点ずらしだと言います。フランス人はputainを使わないなんて言っていないとも言っています。そして「よく使われる」は多くの人が使うという意味なのですが、ひろゆきの主張を「この言葉を多用する人がいる」と意図的に歪曲しています。それに対し、場所をわきまえずに使ってもいいわけないと反論しています。
おそらくF爺は「ほとんど使われない」という主張をし続けることができないので、できるならよく使うという主張に変えたいのだと思います。
comment id : 2544945899048538310
> 匿名 さん(comment id : 5221413680839057265)
> 浅いねー
なぜアホな人間ほど「浅い」って使いたがるのか、不思議ですねぇ
comment id : 6266474235154267846
>匿名 さん(comment id : 72144725828348560)
> 「まぁまぁ使います」が補足になっていると思うのですが。
あ、すいません、聞き方が悪かったですね。
「何かの間違いでしょう」という表現だけだと、頻度ではなく「広く使われる事」の否定と受け取られますよね。なので「まぁまぁ使います」という意味には受け取れませんよね、という事が本来言いたかったことです。
F爺は「まぁまぁ使う」という補足は入れていません。
> 私が誰かに「無教養」というレッテルを貼るとしたら、その人に「教養が無い」ことを
> 言いたいだけで「少数派」といった意味は含みません。
あー、それも一理あります。
しかし「無教養」はつまり「アブノーマルである」というレッテル貼りであり、それはすなわち少数派であることもやんわりと指し示します。
そして、F爺の例で考えると、前後の文脈でより明確に強調されます。
たとえば歩きタバコをしている人がいたとしましょう。
A:そんなことしたら無教養だと思われるよ
B:歩きタバコしている人なんてほとんどいないよ。そんなことしたら無教養だと思われるよ
このAとBの違いは、手前に「ほとんどいない」と書いたかどうかです。
Bだと「無教養だと思われるよ」というのは「ほとんどいない」ことの補強として機能しますよね。「単純に、無教養な行動」という評価だけでは収まりません。
で、もとの話に戻すと「無教養だとみなされる」は、その手前の「よく使う」の否定と一連だと読めます。
そしてこの一連の文章は「よく使う」の否定、つまり「ほとんど使わない」とか「あまり使わない」とか、そういう意図と読み取れると思います。
> 「祖父は戦時中も戦争に反対したので、売国奴との烙印を押され、弾圧されて、生きるだけでもたいへんだったそうです」
> 上の例文で祖父は実際に「売国奴」でしょうか?
まぁちょっと「売国奴」の定義によるのですが、ここでは「実際は国のために戦争反対したのに、それを売国奴扱いされた」と読みましょう。
そうなると、祖父は「売国奴」ではありませんが、しかし「売国奴、という少数派」の烙印をおされたわけですよね。売国奴が多数派だったら、そもそも烙印になりません。
実際に売国奴かどうかはどうでもいいんです。
売国奴だとみなされる、ということが大事なんです。
つまり少数派だとみなされる、ってことです。
念の為補足しておきますが、売国奴の話は本来少数派かどうかはどうでもいい話です。F爺の話と一連なので解釈を「ほとんど使わない」という観点で話しています。
> 「単なる…」以降は「強調のためによく使われる」を否定している「理由」を述べているだけだと思います。
理由、つまり補強とかそういうことになるわけで、つまりその手前の「何かの間違いでしょう(使わないでしょう)」という言葉の理由として書いているわけですよね。
comment id : 7964072378574459322
>匿名 さん(comment id : 44689068441128127)
> 正論屋、いい加減飽きられてるな
やべぇ、飽きられている、って飽きもせず書き込みに来るメンタルがヤバい。
comment id : 330311678028995788
> argumenter さん(comment id : 8249984531708877787)
まず全体的に。
> ひろゆきの主張を「この言葉を多用する人がいる」と意図的に歪曲しています。
おっしゃる通りです。F爺こそが歪曲しまくりの詭弁しまくりなんですが、それが分からない人が多いみたいですね。どうもひろゆきアンチの人達は日本語の読解能力が足りないようです。
> 理由は二つあり、一つはF爺は主張の根拠を示していない。もう一つは「ほとんど使われない」をF爺の代わりに示すことができない。
もちろんその 2 つの理由はその通りなんですが、なぜその 2 つの理由に至ってしまうのか、という部分も考えると、根源的な理由は 1 つな気がします。F 爺本人を含めて、同じ理由でこの議題を避けています。
・理由
「ほとんど使わない」と言ってしまったのは間違いだったが、それを認めたくないので論点を捻じ曲げようとしている。
「ほとんど使わない」で議論すると絶対勝てないの分かっているので、歪曲・詭弁を繰り返して逃げているんでしょうね。
だから避ける。
> 「文言そのものより、真意を捉えなければいけない」というのもこの議論を避けるためなのだと思います。
上記の部分でargumenterさんが感じられているように、勝てないから避けているんでしょう。
> 私にはF爺の文章はputainを使うと無条件に最下層階級になると読めます。
「無条件」という言葉は微妙ですね。私は無条件とは思いません。
あの一連のF爺の発言の中で、もっとも広い範囲を否定していると考えられるのが「雑談で使うような人間がいたら、私はすぐ席を立って逃げる」あたりだと思います。
で、そこで「激越な議論の最中など……」のくだりがあったので、まぁ簡単に言えば「キレちゃった人が口走ったりすることはあるけど」みたいな事だと思っておけばいいでしょう。
なので、無条件じゃなくて「相当キレてる時に使っちゃうかもしれないけど、日常会話で使うような人間は最下層階級」みたいな意味あいだと思います。
> 1、最下層階級
> 条件を満たせば上層階級の人も使うことができます。
前述の通り、私は無条件とは思わないので、上層階級もキレてれば使ってOK(矛盾しない)だと思います。なんか言い方おかしいですが。
> 2、強調のために
> (中略)ひろゆきは賞賛の意味で使われると言っていることからも「よく使われる」という主張であることがわかります。
ここはF爺の発言、言質を探してからの方がいいと思います。
ひろゆき :強調でよく使われる
F爺 :強調ではほとんど使われない
という主張だったので、F爺が「称賛などでも使われない」と言った言葉を探しておかないと、追及する材料が不足しているように感じます。
つまり「称賛で使わないなんて言ってない」という言い訳をされたときに、今度はそれに対する反論ができないと思うのです。
F爺が称賛についても否定したのかどうか、私が知らないだけかもしれませんが。
まぁでも全体的にはF爺が、歪曲を繰り返して醜く逃げ回っている、という構図は明らかですよね。
comment id : 3803107185106018076
Kyouikutekiさん、
普通に生活していたら使わないということですよね。
無条件としたのは、どう使うのか、どれくらい使うのか明確でないからです。
私はキレるのは日常会話に含まれると思います。日本人と違ってフランス人は怒りをそのまま表現します。丸く収めるよりも、自分が怒っていることを伝える方が重要だと思っている人が多いです。するとみんなが激しい口論で卑語を使うことになってしまうので私は変だと思いました。
F爺の主張がもし「使わない」だったならputainの用法を説明する必要はありません。
もし「限定して使う」だったらもっと説明が必要です。
F爺は賞賛で使われないとは言っていないのですが、説明していないということは「使わない」という主張だと思われます。
説明がないということは、部分の否定ではなく全体の否定です。
「言ってない」という言い訳に対してはこのように反論できると思うのですがどうでしょうか。
comment id : 4536016691670913163
> argumenter さん(comment id : 3803107185106018076)
> 無条件としたのは、どう使うのか、どれくらい使うのか明確でないからです。
一応F爺は「単なる強調のためになんか使ったら」という条件と、「激越な議論の際に使う人はいますが」という条件は書いてますよね。
なので、そこは言い分認めたほうが話がスムーズだと思います。
というか「無条件」は、言葉が悪いです。F爺が言った事実と異なる、つまり歪曲・ウソだと言われても仕方がないと思いますけどね、私は。
「普通に生活していたら使わない」は、それはF爺の言ったことを要約した事なので事実だと言えます。
「無条件に使わない」を「普通に生活してたら使わない」と言いかえた方が良いと思ってしまいます。
> F爺は賞賛で使われないとは言っていないのですが、説明していないということは「使わない」という主張だと思われます。
これも同様に、言ってないことを「つまりこういう意味だ」と追い込むのはかなり厳しい(相手に言い逃れの幅が広すぎる)と思います。「称賛でも使わない」を攻めるのは私ならしません。
たぶん水掛け論になってそこから先に進めないと思います。
それに、称賛うんぬんに行かずとも、その手前の「雑談でも使わない」の方が幅広い意味だし、言質もしっかりあるので攻撃しやすいですし。
comment id : 7678738318487976445
「雑談」でそんな言葉を「よく」使うような人がいたら、F爺などは、ありとあらゆる口実を使って、さっさと逃げ出します。
F爺本人がわざわざ「よく」使う人って鉤括弧してあるじゃん。
comment id : 4978556112839765254
単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
単なる強調って書いてるじゃん。
副詞ってわかる?日本語マジで不自由だったの?
comment id : 7175854615704890241
匿名さん、
「雑談でそんな言葉をよく使う人がいる」なんてひろゆきは言っていません。
「よく」は「使われる」にかかるのであって、「よく使う人がいる」というのは歪曲引用です。
前者はputainが多く使われることを表し、後者はputainを多く使う人がいることを表しています。
話をすり替えて存在しない突っ込みどころを捏造していますよね。
comment id : 4444403756132408602
ひろゆきの発言は中日スポーツの記事から引用したって書いてるからこじれたのは記事のせいなんじゃないの?
comment id : 4640324573471249954
結局外野がああだこうだ言ってても終わらないよね
当事者同士で話しても終わらなそうではあるし
インタビュー要約記事の一言一句を掘り下げて何がしたいんだかという感じ
comment id : 5037865344361615446
>匿名 さん(comment id : 7678738318487976445)
>F爺本人がわざわざ「よく」使う人って鉤括弧してあるじゃん。
はい、そうですね。
だから、何が言いたいんでしょう?
comment id : 3571835884311945248
> 匿名 さん(comment id : 4978556112839765254)
>単なる強調って書いてるじゃん。
はい、そうですね。
だから、何だという主張ですか?
comment id : 2132765014623837054
>匿名 さん(comment id : 4444403756132408602)
>こじれたのは記事のせいなんじゃないの?
いいえ、違います。
こじれたのは、F爺が間違えた事を書いて、それを死んでも訂正したくないというマインドだからです。
さっさと訂正してればこじれませんよ。
comment id : 8889950744070295718
>匿名 さん(comment id : 4640324573471249954)
>結局外野がああだこうだ言ってても終わらないよね
えぇと、基本的には終わってる話だと思いますが。
発生した事象を簡単にまとめると、F爺が間違いを認めたくくないばかりに詭弁の限りを尽くして逃げ回り、罵詈雑言吐きながら逃げた。
これで終わってる話に見えます。
>インタビュー要約記事の一言一句を掘り下げて何がしたいんだかという感じ
えっと、「説明」ですけど……。
説明の意味が分からないなら、それこそ「わざわざコメント開いて書き込みまでして、何がしたいんだか」って事になりますよ
comment id : 6994840514110988173
匿名さん、
中日スポーツには「強調のためによく使われる」と書かれています。
歪曲引用と批判をしているF爺本人が、歪曲引用しているという話です。
これそんなに難しい話じゃないと思うんですけどね。
comment id : 6464662696321932555
Kyouikutekiさん、
ではなるべく言ったことだけにします。
F爺は「雑談で使わない」と言ったが、根拠はなかった。
F爺派の人は、この点を大したことではないと考えています。
反論1 論点ずらし
F爺は「何かの間違い」などと反論するべきではなかった。自分で反論したからひろゆきに突っ込まれたのに、都合が悪くなって、差別の話から論点をずらすなと言い出した。
反論2 ひろゆきの真意
「ひろゆきの言いたかったこと(真意)は差別なのだから、それ以外の話は無効」
ただF爺が根拠を答えられなかっただけです。「差別かどうかを議論したかったのだから、これはなし」と言うのは自由ですが、この事実がなくなるわけではありません。
F爺はひろゆきを相手にして負けた。
ひろゆきは差別について議論をしませんでしたが、それは負けたのではなくF爺を相手にしなかっただけです。議論をしなかったひろゆきと、議論して反論できなくなったF爺のどちらが勝っているかを考えれてみればいいと思います。
意見を持っていることと、それを言うことは区別するべきです。我々がひろゆきの意見を知っているのは、彼がトゥイッターに意見を書いていて、そのトゥイートを読むことができるからにすぎません。F爺には「差別だ」と言ってません。
comment id : 6839762007545434143
> argumenter さん(comment id : 6464662696321932555)
99%同意です。
唯一
>F爺を相手にしなかっただけ
という部分は「差別かどうかを専門家と言い争っても勝ち目がないから最初から争ってない」って意味で「相手にしなかった」と私は解釈しています。
まぁ細かい話はさておき、基本的にはF爺が「言い間違いを訂正したくないばかりに、詭弁を弄して逃げ回っている」という構図というのは共通認識だと思います。
comment id : 209557736224869524
まだ反論がないようですので解説を続けます。
F爺が逃げ回っていると言っても、いやひろゆきが逃げ回っているという反論が考えられます。
F爺をひろゆきに変えただけの反論なのですが、このような議論の仕方が多く見られました。
こうして頭を使わない言葉だけの反論がいくらでも考えられます。
なぜこうなってしまうかというと、理由がないからです。
「F爺のブログを読んでください」も同じです。相手が文章をきちんと読むことができないから、そんな人とは議論する義理はないというわけです。
自ら証明をせず、相手の主張も聞かないというのは議論ではありません。これを論点先取と言います。証明すべき命題が前提の一つになってしまっています。
「(相手の)文脈把握能力が欠如している」というのは結論の部分ですが、これを前提として真っ先に述べられています。私だったら誤読しているのならそれはどこかを議論します。ところが、「丁寧に間違いを教えてやる必要はない。なぜなら意味不明な文章を書く方が悪いから」と言い、この議論は終わります。
これ以後「誤読」は前提となり、議論の相手はみんな誤読に基づいているという公式が生まれます。まるで学校の先生のように、繰り返しテキストを読むことを勧めます。これは「家庭教師」という言葉からも読み取れます。
論点を整理して反論しやすくするのは、反論を知り、相手から学ぶためです。それをしないということは、自分が間違えているかもしれないとは考えないということです。私は相手から学ぼうとします。お互いのためにも論点を整理しましょうという提案は、どうやら恥知らずとみなされるようです。
自分は間違えず、すべてを知っている、と。
「こんなしょうもないブログ」と書いていることからも、反論を待って自分の正しさを確認するのではなく、自分の正しさを自分だけで判断しています。だから議論が途中になっていても自分は勝っていると思っています。答えははじめから決まっているからです。
これって、理性というものが欠如しているように思えるのですが。返答がないので何とも言えませんが、一応まとめてみました。
comment id : 1715450661404429422
何やってんだかw
時間たっぷりあるんだろうなw
comment id : 4374985988201765772
ここまで①F爺の問題、②独断の誤りと話を進めてきました。次は③批判と攻撃についてです。
日本語が不自由、無職、頭が〇〇という攻撃をして満足をしている人たちのことです。
その人たちも少しでいいから理屈が言えるといいのですが。
「お前がバカ」「いやお前がバカ」というような小学生レベルの議論をしていることに、なぜ気がつかないのでしょうか。単に「単細胞だから、愚かだから、アホだから」と言ってもいいのですが、それでは相手と同じレベルになってしまいます。なのでそのおかしさを分かりやすく書いてみようと思います。
F爺の勝ち
この世には知者と無知な者がいて、ひろゆきはフランス語の素人なので無知と言える。ということは、知者であるF爺が負けるはずがないではないか。
もしこう考えるとすれば、ものをよく考えない人と言っていいでしょう。私にはここにF爺も含まれる気がします。それなりに評価されている人は自分が優れていることを疑わなくなるものです。周りが先生と崇めているのですから。
でもフランス語が日々変わっているとしたら? 言語というものに完成されたルールブックがあって、ただ与えられたルールに従えばいいというのは間違いです。実際には語彙は増え続け、死語は消え去ります。言葉の使い方も変わります。言葉を話すためには言葉を学び続けなければなりません。本来のフランス語、本当のフランス語などというものはなく、今使われているものがフランス語なのです。
言語学者のF爺もこれくらい知っていると思うのですが。本人に聞いても答えてくれないでしょう。
なぜ周りの多くの人もF爺が正しいと思ってしまうのかというと、つまるところ自分がそう思うからです。すでに感情によって確信したことを、さらに論証することは退屈で無意味です。だから議論の途中で「まだやってる」と呟きます。
この安易で短絡的な思考方法には知性のかけらもないと思います。「そう思われること」がいつの間にか「そうであること」になってしまいます。
ここでテーマに戻りますが、その議論の仕方は批判ではなく攻撃です。自己正当化のためにはどんなでたらめであっても活用します。俺の方が無頼漢の意味を知っている。娼婦という言葉を使ったら差別になるんだぞ、などなど。お互いの対立の原因を考えもせず闇雲に攻撃しているだけです。それでいて、コメントが消されると「都合の悪いコメントはすべて消される。信者だけが書き込めるんだ」と言います。なぜ今日までこんなにコメントが続いているのかを考えたらいいと思います。
comment id : 5314398727538452176
argumenter さんのコメントに同意いたします。
恥ずかしながら、私自身も最初はひろゆきが間違っているのだろうと考えていました。そして、ひろゆきを攻撃しようと色々と調べているうちに、彼は間違ったことを主張していないことに気が付きました。少なくとも、F爺と比べたら、ひろゆきの主張の方が数段理にかなっています。
私自身の愚かさに気づくきっかけを作ってくださったkyouikutekiさま、argumenter さま、その他の方々に深くお礼申し上げます。
comment id : 2956870345170347721
久し振りに来てみれば、朝あったレスが消されてる。827番目の最新レス。
【コテハン付のシンクロ率ワロタ】
という内容で、不穏当なものでもなんでもなかったんだが、何故消した?都合の悪いことでもあったのか?
comment id : 3202238659533276632
〉argumenter君
君は主らもしくは他のコテハンの成り済ましじゃないよね?誓ってそう言えるなら、話を再開するよ。ただし、君のレス内容全てにつき検討している時間はこちらにはない。
従って【主の記事の前提部分の正誤】に話を限定したい。
主が相手だと、「上に挙がってる4つの質問に答えろ」とうるさくて、話が進まないんだ。君が主と無関係なら、この点は問題にならないはずなので、直に主の記事の正誤を議題にすることに何ら問題はないはずだけど、どうしますか。
comment id : 198075426399456390
> Sedo amor(匿名さん) さん(comment id : 2956870345170347721)
スパムなのでスパムコメントにしました。何か問題あんの?
それよりお前、発言の責任とれないくせにグダグダ書き込みして恥ずかしくないの?
comment id : 717581644471352301
> Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 3202238659533276632)
> 「上に挙がってる4つの質問に答えろ」とうるさくて、話が進まないんだ
あたりめぇだろバカかよw
はよ答えろよ。
親切にも場所教えてあげるし、もう一回コピペもしてあげるね。だから、はやく回答してね。
comment id : 7008012915317098013
----------
■確認1 について
いや、あの「あなたがあの8行を1文に要約するなら、なんと表現しますか?」って聞いてるんですけど。
>「日本語文として成立しているものを読めない・読まないのは読者の責任」
もしかして、これがあの 8 行の要約だって言ってます?
■確認2 について
いや、あの、質問に答えてください。
省略しすぎで分からない時に「省略しすぎで意図が分かりません」と聞くのか「歪曲だ!捏造だ!許されない!」って言うのか、どっちがルール的に正しいんですか?
条件があるなら、その条件も付記していただければいいですよ。
■確認3 について
> 話が行き止まりになったのです
そう思っているのはあなただけではないでしょうか? どういう理屈で「行き止まり」になったんでしょうか?
私が言っていることは「そこはあなたの思い込みなので、話し合っても仕方がない部分」ということですよね。なので、全体が行き止まりになる理由が分かりません。説明してください。
■確認4
今回回答いただいたので、追加の確認があります。
あなたは「もう返答しない」といいつつ、なぜか今回返答しました。
主張が一貫していないので、どういう理由で心変わりしたのかを説明してほしいです。理由もなくフラフラと無責任に答えなくなったり、はたまた気まぐれで答えたりする人でないのならば。
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comment id : 7114448559873125127
Sedo amorさん、
私は主ではありません。私は相手が逃げたから議論に勝ったとは思いません。主とSedo amorさんが議論できなくなったのは半分は主のせいだと思います。
もともと私はSedo amorさんが答えやすいように一つ一つ進めようとしていたんですよ。しかし来るか来ないか分からなくなったので、一方的に書くことにしたんです。
前提部分の正誤
F爺は差別の話をしており、誤訳という語を使ったのは7/7から。それ以前に誤訳の話はしていないので、主の前提は間違っている。
Sedo amorさんの主張はこれで合っていますか?
私はこの件について論じたことはありませんが。主の記事の正誤を議題にしてもいいです。
comment id : 207667262619799572
〉主
私、主には何にも用事ないよ?
argumenterさんに話しかけてるんです。横から勝手に出てこないでください。
comment id : 2202692696657517848
〉argumenterさん
主の記事の、
----------
前提部分の正誤
----------
を問題にしたいと考えております。それも些末な部分ではなく、主の主張の前提となっている部分を扱いたい。
具体的には、ここです。
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【F爺指摘 1これに対して「F爺」こと小島剛一が自身のブログでこの記事に書かれたひろゆきの発言を批判しました。】
「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
(中略)
【と、つまり文脈としては「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。】
----------
この中の、
----------
【と、つまり文脈としては「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。】
----------
を問題にしたいと考えております。ここは一連の主の記事の冒頭部分にあり、この部分の正誤は主の主張全体の妥当性を左右しますゆえ。
一応、予め申しておきますと、正直実益に乏しい議論ではあります。
主は誤解しているようですが、これは文の「解釈」と「説得力」の問題であって、論理性の問題ではありません。
要するに、問題の性質に則して言えば、F爺とひろゆきの勝敗は外観的にも内容的にも多数決で決まります。
そして、その多数決による勝敗は決しているのであるからして、今私とargumenterさんが議論をしても、何が変わるわけでもありません。
それでもよろしければ、議論致しましょう。
comment id : 6929005392191900535
>Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 207667262619799572)
どうでもいいから、回答しろって……。
それが出来ないならごめんなさいしなさいよ。子供じゃないんだから。
よくその程度の知能でレスバしようと思えたね……。
comment id : 7590361303061481665
>argumenter さん(comment id : 7114448559873125127)
>主とSedo amorさんが議論できなくなったのは半分は主のせいだと思います。
変な言いがかり、やめてくださいね。
私には全く責任ありません。相手が一方的に逃げてるだけです。
何の責任があるというのか、言ってみてください。
comment id : 4643311478605854912
〉主
こっちとしては、半分どころか「ほぼ全部」そちらの責任ね。
ちょうど質問の答えにもなっているから話しておこうか。
ログを見返してみれば分かることだが、私は君と「ひろゆききの行動についての解釈」を巡って議論していた。
で、こちらの解釈を提示したところ、君からの返答は次の通り。
【そう思うのはあなたの勝手です】
【あなたの思い込みです】
「複数の事実間の因果関係につき考え、ある事柄についてどのように解釈するのが妥当か」が問題になっている局面で、上の返答は「まともに議論する気なし」とみなされて当然。
君の言い分を採用したら、「事物の解釈については人の数だけ答えがある」ことになり、どうしたって結論に至る筈がなくなる。
「妥当な解釈」と「そうでない解釈」とを切り分ける作業をしていたところ、その作業を放り出したのは、私でなくてそちら。
ここで私は「これ以上の議論の継続は無意味」と考えた。
どちらの帰責性が重大か、考えずとも分かる筈。
comment id : 2073448409301151688
〉argumenterさん
すまないが、私も毎日午前2時すぎまで起きているのは無理なんだ。翌日に差し支えるからね。ご心配なく。明日来ますよ。
議題はこちらから投げ掛けました。これについて議論する意思があるなら、話を続けましょう。そうでなければ、話はここで終わり。私はどちらでも構わないよ。
前にも言った通りだが、主とはまともに話し合うつもりはない。
気分次第で勝手に書き込みはするが、そちらの要求にいちいち応じるつもりはない旨、改めて告げておく。
comment id : 6725903643031723238
>Sedo amor(匿名さん) さんのコメント...
comment id : 2202692696657517848
>問題の性質に則して言えば、F爺とひろゆきの勝敗は外観的にも内容的にも多数決で決まります。
そして、その多数決による勝敗は決しているのであるからして、今私とargumenterさんが議論をしても、何が変わるわけでもありません。<
フランス人が投票できれば、F爺の言っていることのほうが間違いだらけだという結論になるでしょう。ひろゆきの主張を裏付ける証拠は多数ある反面、F爺の発言は当のF爺以外に根拠がありません。
しかし、もしSedo amor(匿名さん) さんが客観的な証拠を示してくだされば、私は喜んでF爺側に寝返ります。「勝敗」に関しては私はなんの興味もありませんので。
comment id : 5527331752868600988
pazuさん
---------
フランス人が投票できれば、F爺の言っていることのほうが間違いだらけだという結論になるでしょう。ひろゆきの主張を裏付ける証拠は多数ある反面、F爺の発言は当のF爺以外に根拠がありません。
----------
ここにいう「ひろゆきの主張」とは、問題発生当初、中日スポーツとYouTubeチャンネルで述べられたものでよろしいでしょうか。
そして、「F爺とひろゆき、どちらがより正しい、説得力ある主張をしているか」を、フランスで(あるいは投票者をフランス人に限定して)投票にて問うということでよろしいでしょうか。
それなら、ひろゆきは殆ど支持を得られないでしょうな。
デンベレとグリーズマンの言動についてのフランス国内のメディアの見解は、「差別行為」で一致しています。フランス以外の欧米圏の主要メディアの見解も右に同じ。
ちなみに、証拠は数集めれば何とかなるというものではありません。以下、「ひろゆきの主張を裏付ける証拠」にならないものの例を2つばかり挙げておきます。
・辞書
理由:言動に込められた意図は、それが為された様態と文脈、及び表象のされ方によって判断されるから。
・マクロンの動画
理由:ひろゆきの主張の補強どころか、ひろゆきの主張に対する反証になってしまっているから。
なぜそうなるのかは、ご自身でお考えください。
comment id : 4867658322300846633
Sedo amorさん、
Kyouikutekiさんへの反論
「激越な議論の際に」と条件を言っていることから、教養のある人でも使う。
そうするとその次の
F爺は「ほとんどのフランス人は使わない」と言っている。
も間違っているということですか?
comment id : 8968642024901110879
こんばんは。
以前の反論に回答がないのは残念ですが、ひとまず置いておいて、
【と、つまり文脈としては「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。】
----------
について私の見解を述べたいと思います。
その1
「使わない」対象は、単なる強調としてのputainであること。
その2
ブログの後述になりますが、
> F爺は「(強調のためには)ほとんどのフランス人は使わない」と言っています。 <
※今気づきましたが、実際は単なる強調だと思います。修正した方がよいでしょう。
これらが要約されて最終的に「教養がある人間は使わない」
となっています。後ろまで読むと、文脈から「ほぼ使わない」を「使わない」表現しているのがわかり、程度の問題であることがわかります。
程度の問題であれば「使わない」と表現すること自体には問題がないと考えます。
例
金属バットは野球をするための道具であり、人間を殴るのには使われない。
ここで「使われない」の表現についてです。
「激越な口論」の際や、躾と称して、バットで人間を殴る人は偶(たま)にいますが、それを考慮して「使われない」を採用せず、「ほぼ使われない」を採用せよと主張する人はいるのでしょうか?
少なくとも私の周りにはいません。こんな否定の仕方をする人は危険な思想を持っています。私も逃げ出すでしょう。
話を戻すと、F爺は「よく使われること」を否定していますので、「少しでも教養がある人間は使わない」から書き出すと、程度問題と思わず、「一切使わない」と誤読・歪曲する人もいますので後述部分を頭にもってくるか、注釈を入れるなどの必要性を確かに感じました。
ここまで書けば合意したのですが、「誤り」止まりでしたので反論しました。切り抜きは良くないですね。最後までちゃんと読みましょう。と、ここまで書いてargumenterさんと同じこと言ってますね。
さて、私はF爺のこの箇所については、「激越な口論」自体、偶であること。その中で更に偶であること、と捉えていますので教養がある人間であれば、単なる強調は日常生活では使わないだろう。と解釈しています。
※激越な口論で使うのであれば、それは本性ですから、直ちに烙印を捺されるでしょう。とも解釈しています。
また、この場において多数決で決めるのはナンセンスなことです。
コメントをする人は多数決がしたいわけではありません。(違ったらすいません)
「F爺」「ひろゆき」のそれぞれ主張、反論が「明確に反論しているのか」「論拠をくずせているかどうか」を自分の見解を述べつつ議論、確認しているのだと思います。
以上になります。反論お待ちしております。
comment id : 447635699486999963
>匿名さん
全部否定してるけど。そう見えますかね?
なら反論は期待できそうですね!
comment id : 2249859950625830524
argumenterさん
①
「議論を続ける」ということでよろしいでしょうか。そうであるならば、相互に守るべき約束ごとを設けたいと思います。それは、
「勝つこと、相手を負かすことではなく、『相互理解』を目標とすること」
です。即ち「レスバ」ではなく「対話」をしよう、と申しているのです。参照可能なソースは限られています。ひとつ重要なソースを検証し尽くして、なお合意に至らないこともあるかと考えます。それでも、上述の点にご納得いただけるなら、私も敬意を持ってそちら様に接することにいたします。
以上の点について諾否をお答えください。
②
----------
F爺は「ほとんどのフランス人は使わない」と言っている。
も間違っているということですか?
----------
7/7付記事から読み取れる内容としては、
「下品な言葉なので、教養ある人間は原則使用を控えるが、よほど感情が昂った等、何らか特殊な事情があれば使い得る。」ということのみです。
そちら様の文言を上の内容に沿って読むと、
「殆どのフランス人はみだりに使うことはないが、よほど感情が昂った等、何らか特殊な事情があれば、どの階級のフランス人も使い得る」
となりますね。即ち、F爺が「『ほとんどのフランス人は使わない』と言っている」というのは、内容不充足です。
comment id : 1464011485255255569
Sedo amor(匿名さん) さん
ご返信くださりありがとうございます。
>ここにいう「ひろゆきの主張」とは、問題発生当初、中日スポーツとYouTubeチャンネルで述べられたものでよろしいでしょうか。<
いいえ。「ひろゆきの主張」「F爺の主張」、ともにF爺のブログ記事(7/7付)のみに基づいています。
https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3034.html
おそらく当時F爺はYouTubeを見ていないでしょうから、除外します。
>デンベレとグリーズマンの言動についてのフランス国内のメディアの見解は、「差別行為」で一致しています。フランス以外の欧米圏の主要メディアの見解も右に同じ。<
デンベレとグリーズマンの言動が「差別」的かどうか、に関しては、Sedo amor(匿名さん) さんに完全に同意します。
私が意を唱えるのは、F爺によるputainの解説です。「差別」的かどうかに関しては、F爺が正しいのでしょう。しかし、だからと言って、putainの誤った解説をして良い訳ではありません。100人の命を救ったから、そのうち一人ぐらい殺しても良いだろうとはならないのと同じ理屈です。
「ひろゆきの主張」は以下のとおりです。
>「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまった<
上の文のうち、「日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまった」は、F爺の主張によると「問題は、「putain」という言葉の日本語訳が誤訳であるか否かではありません。」とのことで、「誤訳であるか否か」すら議論されていません。しかし、だからと言って、「ひろゆきの主張」のこの部分の主張は正しいと、私が考えている訳ではありません。
また、発音・表記に関しては「中日スポーツ」の責任でもあると思うのですが、F爺による解説の方が正しいでしょう。
私が問題にしているのは、ひろゆきによるputainの一般的な使われ方の解説部分です。
すなわち、
【ひろゆき】>「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉<
の部分です。
以上の部分に事実と反する記述は一切ありません。
では、翻って、F爺の主張を検証してみましょう。putainに関して、以下の資料を使用しました。なお、当初私はひろゆきが間違っていると思っており、その間違いを裏付けるための資料を探していたのですが、結局見つけることはできませんでした。
参考資料(ひろゆきが提示したものは避けたつもりです。)
The most used French word : PUTAIN - French Lesson #17
https://youtu.be/aCbWLyJhkmk
Jean Dujardin Wins Best Actor: 2012 Oscars(実際にアカデミー賞のスピーチで使用された例)
https://youtu.be/f1-hDJMVA7M?t=112
Comment on dit "PUTAIN !" en japonais ??
https://youtu.be/4K3RDra_cVI
Putain: What does the useful yet dangerous French word mean?(記事は英語話者が書いたものですが、フランス人がコメントしているので大いに参考になります。)
https://frenchtogether.com/putain/
【F爺】>「putain」は、強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語です。<
これは事実ではありません。「putain」は、侮蔑から賞賛に至るまで、さまざまな意味を表すことのできる多義語です。
【F爺】>「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。<
これも事実ではありません。上記に挙げたビデオでもわかるように、ごく普通の真面目そうな若者たちもよく使うようです。
【F爺】>「激越な口論」の際に口に出す人には偶(たま)に遇いますが、「雑談」でそんな言葉を「よく」使うような人がいたら、F爺などは、ありとあらゆる口実を使って、さっさと逃げ出します。同類だと思われたら社会的に大損しますからね。<
F爺の周りではそうなのかもしれないが、一般的な事実とは異なります。どの資料でも「よく使われる」と解説されています。
以上のように、私が見つけた資料によると、F爺の主張は間違いだらけです。
comment id : 7945136065986246655
梅干しさん、Pazuさん
大変申し訳ないのですが、現在argumenterさんとお話ししてる最中であり、十分にお答えすることができません。
ただし、argumenterさんとの対話の中で、主の主張の正否に関わることも出てくると考えます。お二方につき1点ずつだけ、疑義を呈すに留めます。まず梅干しさんですね。
----------
また、この場において多数決で決めるのはナンセンスなことです。
コメントをする人は多数決がしたいわけではありません。(違ったらすいません)
「F爺」「ひろゆき」のそれぞれ主張、反論が「明確に反論しているのか」「論拠をくずせているかどうか」を自分の見解を述べつつ議論、確認しているのだと思います。
----------
前段「多数決」とはここでするものではなく、既に終わったものです。日本国内のネットユーザー向けのアンケートで、F爺が圧勝したものを指します。いまここでアンケートを取るべき、などとは申しておりません。
Pazuさん、少しお待ちくださいね。
comment id : 5839437775117972217
Sedo amorさん、
分かりました。勝ち負けではなく協力をしましょう。
前提部分が間違っていれば、結論も間違っていることになりますよね。
それでは「ほとんどのフランス人は使わないが、例外的によほど感情が昂った場合には使う」に変更することにします。
このように変更しても、その次の「F爺はputainが広く使われていることを知らない」という主張に問題はないと思います。
putainは激越な議論の時でなくても、普通のフランス語として通用するからです。
Kyouikutekiさん、
後回しになってしまいすみません。時間がかかってしまいそうなのであとで返事します。
もし私が忘れていたらまた教えてください。
comment id : 8949622799574923113
> Sedo amor(匿名さん) さん(comment id : 4643311478605854912)
> ちょうど質問の答えにもなっているから話しておこうか。
> ここで私は「これ以上の議論の継続は無意味」と考えた。
またその話持ち出すのか……。
1. Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 6679106578635111804)
> この類いの問題で、「あなたの感想」「あなたの思い込み」といった類いの言い分を持ち出した時点で、もう議論は成立しないんだ
2. kyouikuteki(comment id : 6685420383583576282)
>> この類いの問題で、「あなたの感想」「あなたの思い込み」といった類いの言い分を持ち出した時点で、もう議論は成立しないんだ。
>いや、だからさ。なんで?とも聞いてるし、そこは関係ない、とも説明済み。
>何回もウソ言えばそれが真実になる、みたいな頭でダル絡みしないでほしいもんだわ
3. Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 2794075307314342742)
> 「それはあなたの思い込みですよね?」
> といった返しをしたせいで、話が行き止まりになったのです。
4. kyouikuteki(comment id : 7008012915317098013)
>> 話が行き止まりになったのです
>そう思っているのはあなただけではないでしょうか? どういう理屈で「行き止まり」になったんでしょうか?
>私が言っていることは「そこはあなたの思い込みなので、話し合っても仕方がない部分」ということですよね。なので、全体が行き止まりになる理由が分かりません。説明してください。
何回「勝手な思い込みで『行き止まりになった』とか言ってないで説明しろ間抜け」って言ってるんですけど、まだそれ繰り返すの?
アホだなぁ。
comment id : 992765804046041146
> 梅干し さん(comment id : 8968642024901110879)
> > F爺は「(強調のためには)ほとんどのフランス人は使わない」と言っています。 <
> ※今気づきましたが、実際は単なる強調だと思います。修正した方がよいでしょう。
確かに文面としては「単なる強調で使ったら」ですね。ですが、話の流れとして
ひろゆき:強調でよく使うんですよ
F爺:単なる強調で使ったりしない
なので、F爺は「強調」を「単なる強調」に捻じ曲げてるんですよね。なので、それを逆に利用して「単なる強調」を「強調」に曲げ直しても文脈としては元通り、ってことでギリギリセーフな気がします。
comment id : 6498418185249957182
Sedo amor さん
返信ありがとうございます。
承知しました。ご配慮足らずすいません。
多数決の話はその部分だったのですね。
途中でアンケートをするしない議論がありましたので勘違いしていました。
自分の考えが少数派であるということは承知しています。
ここの議論で圧倒的多数派が間違いでないことを示して頂ければと思います。
自分も少数派の意見を通したいと思います。
Pazuさん
サイト情報ありがとうございます。
英語の記事は非常に参考になりました。英語のサイトを調べればよかったんですね。盲点でした。この記事で私の中で日本語サイトの信ぴょう性はあがりました。
40,50代以下と年配者では捉え方が違う(年配者はより厳格である)という箇所も今回の二人の関係に近いものがありますね。
私の中で疑問となっているのはやはり「単なる強調」です。
当時、「判断できない」と言っていることから、ひろゆきの言った用法がこれに含まれるのか(含むのか)どうかが謎です。
(文脈的に含まれていないとおかしいと考えているのですが、判断できないものを含めていいのかというジレンマです)
どちらにしても私のやりとりはお二方の後になりそうなので、それまでの議論で回答は出そうな気がします。
まずは argumenter さんとの議論にとても注目しています。
というわけで来るべき日を待ちたいと思います(その前に片付く可能性もありますが)。
comment id : 7549861806726786863
Pazuさん
まず始めに、そもそもこのひろゆきの発言内容自体に問題があります。
----------
【ひろゆき】>「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉<
の部分です。
以上の部分に事実と反する記述は一切ありません。
----------
この議題になると、“putain”の方にばかり気を取られて、“F○○K”の方についての注意が散漫になりがちです。
そもそも、英語の“F○○K”は、みだりに用いて良い語なのでしょうか。断じて、違います。だからこそ伏せ字になっているのです。この言葉は半ば社会から排除されている言葉であり、明らかに「善良の風俗に反するもの」とみなされています。端末にもよるでしょうが、そもそも予測変換に出てこないことが多数であることに鑑みれば、明白なことです。
「“fuck” “taboo”」「“fuck” 禁句」などで検索してみれば、この語がどういう語かはすぐに明らかになるでしょう。英語・日本語どちらのサイトでも構いません。まず間違いなく「使用すべきでない語」の筆頭に挙げられています。ググってみれば、すぐにお分かりになると思われます。
尤も、下層階級のアメリカ人、あるいは著しく機嫌を害した人物が“fuck”を用いるケースは多々あります。しかしそのことは、この語が「社会的に認容されていること」を意味しはしません。
ちなみに米国では、子供向け番組にて“F○○K”が用いられた場合の罰則規定が設けられています。
従って“putain”が“fuck”と同視できる類いの言葉であるのならば、「“putain”はみだりに用いてはならない語である」理由がより確固たるものになるのみであり、ひろゆきの足場はより危険になります。
思うに、ひろゆきは“fuck”という語が、英米圏でどのように扱われているのか知らなかった可能性が高いのではないでしょうか。知っていたら、デンベレとグリーズマンを擁護する際、引き合いに出すこともなかったでしょう。
動画はいくつか見ました。しかし、先述の通りF爺は“putain”という語につき、
「下品な言葉なので、教養ある人間は原則使用を控えるが、よほど感情が昂った等、何らか特殊な事情があれば使い得る。」
としており、動画を並べられてもコメントに困ります。
尤も、使われる頻度に関してはF爺の方に瑕疵があるのかもしれませんし、ないのかもしれません。
この点についてのコメントは差し控えます。私自身フランス語を解さないので、直接ソースを確認しようがないからです。
次のコメントは、少しお待ちください。「いつ」とお約束できず申し訳ありません。
comment id : 2159103112177730510
〉主
最新のレスを引用しないで過去レスのみ引用して、存在しない瑕疵を勝手に作出しないこと。
----------
何回「勝手な思い込みで『行き止まりになった』とか言ってないで説明しろ間抜け」って言ってるんですけど、まだそれ繰り返すの?
----------
私はお前と「ひろゆきの行動についての解釈」を巡って議論していた。ここは間違いないね。
で、こちらの解釈を提示したところ、君から帰ってきたのは次のような返答。
【そう思うのはあなたの勝手です】
【あなたの思い込みです】
「複数の事実間の因果関係につき考え、ある事柄についてどのように解釈するのが妥当か」が問題になっている局面だった。ここで上のような「あなたの感想です」レベルの切り返しをしたら、話が先に進まなくなるのは当たり前だろう?
【そう思うのはあなたの勝手です】
【あなたの思い込みです】
これでは、「答えは人の数だけありますね」という話になり、1つの結論を追求することにつながらない。
お前は上の局面で何をしなければいけなかったか。
「○○という解釈には賛成だが△△には反対する。その理由は~だ」
このような形で、私の解釈の妥当性について、論拠を挙げて賛成もしくは反対の意思表示をしなければならなかった。しかし、お前はそれを怠った。
すなわち「妥当な解釈」と「そうでない解釈」との線引きをする作業をしていたところ、その作業を放り出したのは、私でなくてそちら。
そんな状態になってまで、お前の相手をする義務がどこにある?
comment id : 1940176585371680842
argumenterさん
申し訳ありません。遅くなりました。
主の元記事をそのまま引用します。
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【F爺指摘 1これに対して「F爺」こと小島剛一が自身のブログでこの記事に書かれたひろゆきの発言を批判しました。】
「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
(中略)
と、つまり文脈としては「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。
----------
argumenterさんはこの末尾部S分の主の文言、
----------
と、(F爺は)つまり文脈としては「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。
----------
*括弧内筆者
を「真」だと考えていらっしゃる。
この点、私の認識に間違いはありませんか。
comment id : 9101548788803978561
Sedo amor(匿名さん) さん
お取り込み中にお邪魔して申し訳ございませんでした。
それにもかかわらず、返信していただき、恐縮です。貴重なご意見をありがとうございます。
argumenter さん、ならびに梅干さんにもご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
Sedo amor(匿名さん) さんがお二人との議論を終えるまで、しばらく自粛いたします。
comment id : 7678929423781686362
Sedo amorさん、
真だと思います。ですがこの点についてもしかしたら私が間違っていてSedo amorさんが正しいかもしれません。
もし前提部分(S分の主の主文)のみが間違っているのなら、それに続く「F爺はputainが広く使われていることを知らない」は正しいことになります。ということは、全体としては主の記事は正しいということになると思います。
comment id : 2625243410647257873
argumenterさん
承知しました。
では、「文章を解釈するとはどういうことか」ということからお話しましょう。
始めに申しておきますと、これは論理の問題ではなくて「国語」の問題です。
言うまでもないことですが、ある話題について文章を書く際、筆者はその話題について自身が知っていることの全てを書くわけではありません。時間も紙幅も無限にあるわけではありませんから、「これだけは読者に伝えたい」という事柄に記述内容を絞り、残余の事柄については簡便にすませるのです。
ですから、「書かれていない≠筆者は知らない・意識していない」となります。この「書かれていないことについて、筆者がどこまで知っていたか、あるいは意識していたか」を捉えるには、正しい解釈の方法にて文を読まなければなりません。とはいえ、当然のことながら、解釈学の専門的知識まで要求されるわけではありません。
国語の授業で「行間を正しく読め」「言葉の背後にある筆者の意図を読め」などと指示されたことがお有りかと思います。此度はこれについて少し詳しく考えてゆくことになります。
ひとまず、3つ理解しておけば足ります。
即ち、
・反対解釈
・類推解釈
・拡大解釈
の3つです。
今回の議題だと、主に使うのは一番目の「反対解釈」です。ここで簡単な例を出してお話しします。
例えば、「刃渡り6㎝以上の刃物を持ち歩くと、銃刀法違反になる」というルールがあるとします(実際あります)。この文言には、「刃渡り6㎝未満の刃物を持ち歩いたらどうなるか」ということについては、「文言上は」何も書かれていません。しかしこの文言から、人は、「刃渡り6㎝未満の刃物であれば、持ち歩いても銃刀法違反にはならない」と考えます。そして、立法者の側も、そのことを知っており、そのように解釈しているのです。
これを一般の文章に当てはめると、「文を反対解釈した場合、その内容についても筆者は既知であった」と言えるでしょう。
純粋論理の世界であれば、「真の命題の裏は必ずしも真ならず」ですが、普通の文を読む場合には、概ね「真の命題の裏も真」です。そうでなければ、凡そ法律の条文は事実上何も意味していないことになってしまいます。
ここまではよろしいでしょうか。
疑問がおありでしたら、お答えします。
まだ仕事が残っておりますゆえ、次の返信は少し遅くなります。その点は御容赦ください。
comment id : 2650822384816020579
〉Pazuさん
*本来、Pazuさんが列挙した資料類を引用したかったのですが、何度投稿してもその投稿文自体が消されてしまうので、引用を行わずに投稿致します。ご了承ください。、
①argumenterさんと順番前後して申し訳ないのですが、どうにも首を傾げざるを得なかった点につき述べておきます。ご提示になった資料ですが、証拠能力が疑われるものが多数含まれています。
フランス語を解しないため、検索して出てきたサイトの内、英語で書かれているか、若しくは英語字幕が付されているもののみ閲覧しました。加えて、検索結果として出てきた英語サイトの幾つかを閲覧しました。すると、
・チャンネル登録者数・再生回数などが少なく、資料としての価値が明らかに低い。
・検索結果として、“putain”を「侮蔑語、フランスで使ってはいけない語」として紹介しているサイトが多数出てくる。
などの問題点が見つかりました。
Jean Dujardin Wins Best Actor: 2012 Oscars(実際にアカデミー賞のスピーチで使用された例)
こちらについては、当該単語を聞き取れませんでした。
何分何秒のところで出てくるのか、教えていただきたく存じます。
加えてPazuさんご自身のフランス語能力についてお尋ねしたく存じます。
②仮に、上に列挙された資料が、F爺とひろゆきのフランス語運用能力の差を埋めるに十分な水準の資料的価値を有していると仮定しても、それでも尚、ひろゆきを擁護する材料にはなり得ません。
なぜなら、事の正否は、
「中日スポーツにて持論を述べた際のひろゆき」
について決せられるべきであるからです。
換言すれば、ひろゆきは、中日スポーツの記事で述べた内容が真実であることを挙証立証する責任を果たしていたか否かが問題である、ということです。
そして、F爺との論争が収束するに至るまでそれを果たせなかった以上、ひろゆきは、
「公的媒体にて、無責任かついい加減な発言をした」
という道義的非難を免れません。
観戦者のひとりであるPazuさんが、F爺・ひろゆき間の論争がほぼ収束した現時点にて、どれほどひろゆきに有利な証拠を示したとて、上の点に変わりはないものと解します。
comment id : 6189785018542118731
Sedo amorさん、
理解しました。
「単なる強調のために使ったりしたら…」
を反対解釈すると「単なる強調でないなら、使ってもよい」となります。
F爺はputainを使ってもよい場合について知っていたということですね。
ここまで質問はありませんので続けてください。
comment id : 8991279441138120406
Sedo amor(匿名さん) さん
お手数おかけして申し訳ございません。
【サイトについて】
>検索結果として、“putain”を「侮蔑語、フランスで使ってはいけない語」として紹介しているサイトが多数出てくる。<
ぜひ、それらのサイトをご紹介ください。そうすれば安心して悔い改めることができます。
【動画について】
>Jean Dujardin Wins Best Actor: 2012 Oscars(実際にアカデミー賞のスピーチで使用された例)
1分52秒です。そのようにリンクを貼りました。
https://youtu.be/f1-hDJMVA7M?t=112
【私のフランス語能力について】
私のフランス語能力は、大学で受講した程度ですので、初心者同然です。フランスにおけるPutainの使われ方に関してもよく知りません。
【②について】
>ひろゆきは、中日スポーツの記事で述べた内容が真実であることを挙証立証する責任を果たしていたか<
真実であることを挙証立証する責任なんて、法的にひろゆきにあるんでしょうか。
じゃあ、もしひろゆきが正しくてF爺が間違っていたら、F爺には何が起こるのでしょうか。
【以前にも書きましたが、理解していただけなかったようなので、もう一度書きます。】
私は、倫理的(差別問題)にはF爺の貢献を認め、ひろゆきには差別を助長しかねないような問題ありと考えます。
しかし、論理的(Putainの解説)には、ひろゆきの方が非が少ないと考えています。そして、言語学者であるF爺が誤った情報を発信していることを問題視しています。
ですから、私はひろゆきを全面的に擁護する気は全くありません。問題はF爺です。専門家としての責任は非常に重いと考えます。この責任の追求は今でも十分可能です。
加えて、誤った情報をもとにひろゆきを侮辱するような発言をインターネットでする権利はF爺にはないと考えます。(何人も他人を侮辱する権利はないと考えますが、法的にはどうですか?)
comment id : 6841166078348182792
argumenterさん
承知しました。では、話を先に進めましょう。
argumenterさんが言及された部分を含む段落の反対解釈を続けましょう。
ここでF爺は"putain"という語の使用状況及び使用者への評価につき、相当の留保を付しています。
【】内に着目しつつ、後段を見てゆきましょう。
---------
『【単なる強調のために使ったりしたら】、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。』
----------
「単なる強調のために使ったりしたら」が、後続の部分の条件となる形になっています。
「単なる強調のためでなく(≒極度に感情が昂ったなど、特段の事情があって“putain”という語を用いたにとどまる」のであれば、
----------
「直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
----------
こちらの後の文にも変化が生じるはずです。例によって反対解釈すると、どうなるでしょうか。
*以下、議論の内容とは無関係につき読み飛ばしていただいて問題ないのですが、F爺という人物についての私の所感は複雑です。
研究者としての能力・実績・胆力については尊敬します。1980~1990年代のトルコで少数民族につき実地調査することの危険性・困難性は想像するに余ります。そして、Le Monde紙に顕名で記事を書ける日本人研究者は十指に満ちません。
しかし、実社会にて個人的に関わりを持ちたいかと言われると、躊躇してしまいます。F爺が大学の第二外国語の担当だったら...と考えると、寒気がします。
自分自身、死の危険と隣り合わせで研究してきただけに、自分には厳しい。それだけなら良いのですが、問題は「相手にも度を超して厳しい」点です。
comment id : 8677587344137792992
> > F爺は「(強調のためには)ほとんどのフランス人は使わない」と言っています。 <
> ※今気づきましたが、実際は単なる強調だと思います。修正した方がよいでしょう。
確かに文面としては「単なる強調で使ったら」ですね。ですが、話の流れとして
ひろゆき:強調でよく使うんですよ
F爺:単なる強調で使ったりしない
なので、F爺は「強調」を「単なる強調」に捻じ曲げてるんですよね。なので、それを逆に利用して「単なる強調」を「強調」に曲げ直しても文脈としては元通り、ってことでギリギリセーフな気がします。
↑これやばくね?
日本語をパズルかなんかだと思ってるの?いやこれ頭おかしいよ
comment id : 2490306208048194710
Sedo amorさん、
反対解釈すると
「単なる強調のためでないなら、直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されることはない」
他にまだ修正するところなど、解説があるなら待ちますが、これはF爺はputainが広く使われていることを知っていたという主張でよろしいですか?
comment id : 6337642876502910762
argumenterさん
----------
「単なる強調のためでないなら、直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されることはない」
----------
私もほぼ同じように理解しております。
argumenterさんの言葉を少し変えただけになりますが、
「“putain”という語を使用したこと」が、「無条件に『無教養』『無頼漢』『最下層階級』・・・などと烙印を捺される」ことにつながるとは限らない。
ということが分かります。あとは、上のことをさらに裏返せば、
『無教養』『無頼漢』『最下層階級』以外の人間も“putain”という語を使い得る。
と言うこともできます。
しかし、
----------
これはF爺はputainが広く使われていることを知っていたという主張でよろしいですか?
----------
私はこの点については読み取れないと考えますし、ゆえに主張
もし、この点読み取れるとしたら、その理由をお聞かせいただきたく存じます。そうでないならば、この箇所については一定の相互理解が得られたものとして、次の箇所へと話を進めたいと思います。
comment id : 1935823943747259233
Sedo amorさん、
話を進めるのはかまいません。
ただ言っておきたいのは、主の主張は「事実として広く使われるのにF爺はputainが広く使われることを知らなかった」です。
この主張は正しいと思いますが。
この話はここでやめ、次の話に移ってもいいです。
comment id : 8886989058781988403
Pazuさん
①----------
【サイトについて】
>検索結果として、“putain”を「侮蔑語、フランスで使ってはいけない語」として紹介しているサイトが多数出てくる。<
ぜひ、それらのサイトをご紹介ください。
----------
https://vidalingua.com/blog/french-swear-words
https://www.talkinfrench.com/french-curse-words-nsfw/
https://landlopers.com/2012/08/07/top-10-french-swear-words
https://www.rocketlanguages.com/french/words/french-swear-words
などです。“putain”の派生語義ではなく、主たる語義について説明しているサイトです。
他にも色々あります。“swear word”と“french”で検索すれば、いくらでも出てきます。
②----------
安心して悔い改めることができます。
----------
何故、「悔い改める」必要があるのですか?私も外国語の語彙、とりわけ卑語について「知ってるつもりが知らなかった」ケースはよくあります。それについていちいち反省は致しません。いざ外国に行く段になって、初めて学べば良いだけの話です。
“fuck”にしてもそうです。日本人の中高生あたりも、この言葉を考えなしに、結構な頻度で使います。彼らは、この言葉がアメリカでは半ば社会から排斥されている言葉、子供向け番組で使用した場合の罰則が規定されている言葉だとは知らないでしょう。だからといって、彼らを責められるわけでもありません。
③----------
真実であることを挙証立証する責任なんて、法的にひろゆきにあるんでしょうか。
じゃあ、もしひろゆきが正しくてF爺が間違っていたら、F爺には何が起こるのでしょうか。
----------
刑事責任ということでしょうか。
問題の性質に鑑みれば、特に何も発生しません。
ただし、コメンテーター即ち意見者として、いい加減な発言をしたことについての道義的責任は問われます。
この件では、ひろゆきは「恥を被る」という形でその責任を取ることになりました。
もしF爺が同じ過ちを犯したら、ひろゆきと同じ途を辿ったことになったでしょう。
④----------
しかし、論理的(Putainの解説)には、ひろゆきの方が非が少ないと考えています。そして、言語学者であるF爺が誤った情報を発信していることを問題視しています。
ですから、私はひろゆきを全面的に擁護する気は全くありません。問題はF爺です。専門家としての責任は非常に重いと考えます。この責任の追求は今でも十分可能です。
----------
この点については、私も一定限同意します。
ひろゆきが中日スポーツにて述べた内容に対し、F爺が「原義通り、侮蔑語として使われている」と述べた時点ではF爺は正しかった。
そしてその後の両人のやり取りを論戦と呼べるかは別として、勝敗を決めよ、ということであれば、F爺の勝ち、となるのでしょう。
しかし、我々素人が調べられる範囲ですら“putain”にはいくつもの派生語義があることが分かるにも拘わらず、その点についての詳細な説明をしなかったことについては、F爺について責められるべき帰責性があると考えます。
ではF爺はどうすべきだったのか。
F爺曰く、ひろゆきへの反論は「根拠なく無知蒙昧な高齢者呼ばわりされたことにつき、自分の名誉を守るため」であったとしています。
ならば、ネットユーザーによるアンケートで8割以上の支持を得た時点で、ひろゆきへの攻撃を止め、現代フランスにおける“putain”の使用状況についての記事を書くなどして、きちんと問題の所在を整理すべきだったと考えます。
完全なる下衆の勘繰りですが、いわゆる「十戒」が出された後、F爺の本は売れに売れました。ここでひろゆきの仏語能力の瑕疵その他をネタにすれば、もう一儲けできる、等と考えたのかもしれません。もしそうであれば、当然褒められた行為ではありません。
④----------
加えて、誤った情報をもとにひろゆきを侮辱するような発言をインターネットでする権利はF爺にはないと考えます。(何人も他人を侮辱する権利はないと考えますが、法的にはどうですか?);
----------
構成要件としては、「事実の摘示」による名誉の侵害なら名誉毀損罪、「価値判断を伴う悪口」による名誉の侵害なら侮辱罪です。
インターネット上での書き込みにつき侮辱罪の成立を認めた判例はあります。
加えて、民事上の不法行為責任に基づく損害賠償請求が認められた判例も多々あります。
ただし、侮辱罪は親告罪であり、告訴がなければ検察は何もできません。
加えて、侮辱罪の法定刑は拘留若しくは科料と非常に軽く(厳罰化の動きあり)、民事上の和解成立→告訴取り下げ、となるケースが殆どです。
仮にそうならなくとも、略式起訴→略式命令で科料(1万円までの制裁金)が関の山であるため、殆ど野放しになっているのが現状です。
comment id : 5792857133553230301
>Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 2159103112177730510)
>これでは、「答えは人の数だけありますね」という話になり、1つの結論を追求することにつながらない。
そうそう、そうだよね。そこまでは分かってたんだね。
>「○○という解釈には賛成だが△△には反対する。その理由は~だ」
やっぱ君は、少し日本語力が足りないね。
私はその意味の返しをしてるよね。
「ひろゆきがどういう心持ちで言ったか、という想像は人それぞれ受け取り方が違うよね。だから、その話しても意味ないよね」
って返しをしたんだけど、理解できなかったかな?
それと、その問題は話しても意味ないよ、ってことと、その他の問題に回答しないこととは無関係。
都合が悪くなったから逃げてるだけって見做されてもいいってことかな?
comment id : 4955988503016200313
>匿名 さん(comment id : 8677587344137792992)
何がやばいのか詳しく
comment id : 9047819240275794627
こんばんは
教育さん
遅くなりました。
当初、私もそのように考えていましたが、F爺の他ブログエントリーでの補足、現在進行形での議論もあり、捉え方が変わっています。「単なる強調」が注目されている状態ですので、正確に記載した方が良いと感じました。(私も注目しています)
Pazuさん
Pazuさんが私に対して迷惑、謝ることは一つもありませんので撤回ください。
むしろ、そのスタンスでここの議論に参加することは凄いことと思います。私には出来ません。
comment id : 2480629976801720622
argumenterさん
----------
ただ言っておきたいのは、主の主張は「事実として広く使われるのにF爺はputainが広く使われることを知らなかった」です。
この主張は正しいと思いますが。
----------
この点については、次の部分を解釈する過程で妥当性のある結論が得られると考えます。
この点、7/9付以降の記事も参照できれば話が早いのですが、敢えて7/7付までの記事でお話しすることにしましょうか。もしargumenterさんがお望みということであれば
話は別です。7/9付以降の記事について何か扱いたい内容がおありでしたら、それについては快諾致します。
しかし、それをするまでもなく、フランスが階級社会であることに鑑みれば、次の7/7付の記事の内容が主の主張への強力な反証になります。
----------
《「ひろゆき」氏って、フランスで何してるのか知らないけど、よっぽど柄の悪いフランス人とばかり付き合って・・・もごもご、ごにょごにょ・・・(以下自主規制)》
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いずれにしても、前のレスで扱った部分の続きを解釈することなしには話が進みませんので、まずはそこから片付けましょうか。
----------
「激越な口論」の際に口に出す人には偶(たま)に遇いますが、「雑談」でそんな言葉を「よく」使うような人がいたら、F爺などは、ありとあらゆる口実を使って、さっさと逃げ出します。同類だと思われたら社会的に大損しますからね。
----------
この部分は、反対解釈する前にすべきことがあります。
「雑談」と「よく」に「」が付されている意味を考えなければなりません。
ではargumenterさんにお尋ねします。
【質問】
会話文以外の部分で「」が使われる場合とは、どのような場合か。
考え付くだけお答えください。
加えてもう1つ。明日少し早いので今日のレスはここまでと致します。明日も来るのでご安心ください。
comment id : 597698377663847141
〉主
ため息がでてきました。
まだ絡んできますか。別の方と話してる最中で、こっちとしてはおたくの相手はしたくないのでね。いい加減にしてほしいのですが、仕方ないので当該レスを引用の上、お話ししましょうか。
言っときますが、これが最後ね。こっちとしては、おたくとのやりとりはもううんざりなんです。
-----------
【> その見識の有無、見解の正当性を常に第三者から判定される立場にある人間が、自説の妥当性について「どうでもよい」はずはないでしょう?】
繰り返します。それはあなたの思い込みですよね?
【> もし本当に「どうでもよかった」なら、ひろゆきは「公的媒体を通じて、問題の性質も考えずに適当なことを言う極めて無責任かついい加減な人間」となりますが、そのような理解でよろしいでしょうか。】
どう思うかは別にあなたの勝手です。
ちなみに、私は個人的に「ひろゆきは自分の感想を無責任に言う人間」だと思っています。
---------
【】内筆者、それ以外主
ここで私は、F爺の話は出していない。あくまでも、「『世間一般からどのように見られるか』はひろゆきにとって意見者としての名誉に関わる問題。『どうでもよかった』はずはない」と問題提起。そして主の返答は上の通り。
で、主は今になってこう言っている。
----------
>「○○という解釈には賛成だが△△には反対する。その理由は~だ」
やっぱ君は、少し日本語力が足りないね。
私はその意味の返しをしてるよね。
「ひろゆきがどういう心持ちで言ったか、という想像は人それぞれ受け取り方が違うよね。だから、その話しても意味ないよね」
って返しをしたんだけど、理解できなかったかな?
----------
上の引用に明らかな通り、主は私の解釈に対する賛成・反対の評価を一切行っていない。「あなたの感想だから話しても意味ないよね」としか言っていないのと何ら変わるところはない。にも拘わらず、「自分は相手の問題提起に即した返しをした」と強弁し、挙げ句の果てにこちらの「日本語力不足」とのレッテル貼り。
普通の人間なら当然に堪忍袋の緒が切れて当然。
ところで、主はレスバに勝てればいいんだろう?
じゃ、おたくの勝ちでいいよ。どうぞ存分に勝利宣言をお楽しみください。
ということで君の「勝ち」に決まったわけだから、これ以上私に絡む理由はないね。そういうことで。
以後、返答は拒否する。
不正引用でも人格批判でも何でもご自由にどうぞ。
comment id : 5503977831839550047
Sedo amorさん、
括弧を使うのは強調や、ひろゆきが間違っていることを伝えるためでしょう。
雑談に括弧をつけて、雑談で使うなんておかしい、と。
例えば「ピュタンこんにちは」、「ありがとうピュタン」「今日はもうピュタンピュタンに疲れた」と言っている人がいたらおかしな人なので、近づかない方がいいなと思います。
先回りしますが、おそらくputainを使うのはひろゆきの周り人であって、一般的には広く使わないということでしょうか。
comment id : 5522759278769134069
Sedo amor(匿名さん) さん
色々と教えてくださり、ありがとうございます。
argumenterさんと梅干さんとの議論が終わってから、改めて返信いたします。
(基本的に反対意見はございません。)
comment id : 3398365873914938876
> 梅干し さん(comment id : 9047819240275794627)
> F爺の他ブログエントリーでの補足、現在進行形での議論もあり、捉え方が変わっています。
すいません、確認なんですが捉え方が変わっているのは梅干しさん個人の中でですかね?
もしそうであれば、どういう経緯で捉え方が変わったのかも教えてもらえますか。
> 「単なる強調」が注目されている状態
どういう注目をされているとお考えでしょうか?
たとえば「強調」と「単なる強調」の違い、とか簡単にで結構です。
comment id : 2908289322031314267
> Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 597698377663847141)
> ため息がでてきました。
奇遇ですねぇ、私もため息が出っぱなしです。逃げ回ってるくせにダル絡みしてくるので。
> こっちとしては、おたくとのやりとりはもううんざりなんです。
そう思うなら、わざわざこのブログに来なければいいのでは……? 言い負かされて苦しいからって、わざわざ荒らしに来るってのは相当精神ヤバいですよ。
> 上の引用に明らかな通り、主は私の解釈に対する賛成・反対の評価を一切行っていない
私は以下のように言ってます。(comment id : 6157072619589044690)
----------
>> 本来、「個人の感想」と、「条理」「常識」とははっきりと区別されて然るべきものです。
> その通り!
> 私は「個人の感想」については排除して「条理」の話をしましょう、と言っているだけです。
> つまり「ひろゆきはこう思っていたに違いない」というのは、私もあなたも個人の感想です。そこを確実に突き詰めることはできません。
----------
はい、ハッキリと「個人の感想の話はやめて、条理の話をしましょう」と言っていますね。
ここまでハッキリ言われて理解できないなら、日本語力不足と言われて当然でしょ。
いい加減逃げ回ってないで、4つの質問に回答しなよ。なんで回答できないの? 都合悪いから?
回答できないくせに、なにをグダグダと荒らしに来てるの? 恥ずかしくないの?
まぁ恥ずかしくはないか。だって言い負かされたって事実の方がよっぽど恥ずかしいんだろうからね。どうしようもないですね、病気かもしれないから仕方ない。
comment id : 1835266635156632490
argumenterさん
----------
括弧を使うのは強調や、ひろゆきが間違っていることを伝えるためでしょう。
雑談に括弧をつけて、雑談で使うなんておかしい、と。
---------
「強調のため」で正しいと考えます。「ひろゆきが間違っていることを伝えるため」ということまで読み取れるかという点には疑義を呈しますが、ここでは「強調のため」と考えておけば問題は生じないでしょう。他に会話文以外で「」を使うケースとして
1.ある語を辞書的な意味とは異なる意味で使うため
2.引用の場合
がありますが、この文の場合、1.も2.も妥当しないので、argumenterさんの仰る通り、「」を着けた語を強調するため、すなわち読者にその語についてきちんと着目するよう促すためと考えられます。では、そのことを踏まえた上で次の文の解釈へと移りましょうか。前に解釈した文の続きに当たる部分です。
----------
「激越な口論」の際に口に出す人には偶(たま)に遇いますが、「雑談」でそんな言葉を「よく」使うような人がいたら、F爺などは、ありとあらゆる口実を使って、さっさと逃げ出します。同類だと思われたら社会的に大損しますからね。
----------
「雑談」「よく」の意味を踏まえて反対解釈するのですが、あいにく仕事中・離席中につき、詳細は夜になります。
ご了承いただきたく存じます。
comment id : 3977673120514088034
> Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 597698377663847141)
あ、よく読んでなかった。
> おたくの勝ちでいいよ。どうぞ存分に勝利宣言をお楽しみください。
おおーーっと、二度目の敗北宣言だー! また出ちゃいましたね! 苦しくなったら捨て台詞残して逃げてしまうのです!
っかーー、まったくどうしようもねぇクズだな!
人に散々罵詈雑言浴びせておいて、負けたのに謝りもしない! クズ! まさに人間のクズ!
本当にどうしようもない。人のことを病気扱いしてたけど、やっぱり自分の一番言われたくない事の裏返しだったんだね。
◆病院のススメ
でも、真面目に心配でもある。一度、本当に心療内科を受信した方がいいよ。どこかで心のバランスが崩れてると思う。
◆論理的思考のススメ
あなたは、もう少し論理的思考を鍛え方がいいと思うよ。
「筆者の気持ち」とか「こうあるべき」とか、そういう余計な話を取り除いて会話できるようにならないと議論にならない。
実際にあなたは議題をそらし続けて(まとめたスプレッドシート参照)、結論を出すことなく、言い逃れ続けているよね。
逃げることは悪だよ。間違っている部分は部分的にみとめて、自分の譲れない部分はどこなのかを明確にするのがいいよ。私が手助けしようと、色々と質問したけど君は逃げてしまったのが残念だよ。
もう少し整理を手伝ってあげたら、君も「自分の感じた違和感の所在」を自分で理解することができただろうに。
comment id : 3852915693494379388
sedoも正論屋もしょーもない話題で言い争ってる
10月中旬までこれが続くなんて、暇すぎるだろコイツら
脳に欠陥ありそう
comment id : 3285340970428458967
思ったけどしょーもない事に無駄に時間を永遠と使うのは論理的…なんでしょうか?笑
comment id : 1102853963464878654
> 匿名 さん(comment id : 3852915693494379388)
「しょーもない話題で言い争ってる」ってわざわざ書き込む方が脳に障害あるのでは
comment id : 3547778197207497186
> 匿名 さん(comment id : 3285340970428458967)
> しょーもない事に無駄に時間を永遠と使うのは論理的…なんでしょうか?笑
論理性と時間を使うことに何の因果関係もありませんよ
comment id : 7593564702674516320
argumenterさん
遅くなってしまいました。
いらっしゃるのであれば、昨日の続きと参りましょう。
----------
「激越な口論」の際に口に出す人には偶(たま)に遇いますが、「雑談」でそんな言葉を「よく」使うような人がいたら、F爺などは、ありとあらゆる口実を使って、さっさと逃げ出します。同類だと思われたら社会的に大損しますからね。
----------
「『激越な口論』の際に口に出す人には偶(たま)に遇いますが」
この部分の解釈は特段難しくありません。
「激越な」=怒鳴りあい胸倉掴みあうような極度に白熱した議論の際には、「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・でなくても、“putain”を使う人は少しはいるが、
で良いかと思います。
もし異論があれば仰ってください。
続く部分はF爺が「」を付けた重要箇所です。「」内は国語辞典に忠実に、
「雑談」=特に目的を定めないでする気楽な会話
「よく」=頻繁に
とすべきと考えますが、こちらも異論があれば仰ってください。
「」
comment id : 4519807730398466673
Sedo amorさん、
F爺の主張が「ほとんどのフランス人はputainを使わない。ただ例外的に使われる」であるならそれで問題ありません。
まだ話の途中だとは思いますが、主の主張への反証になっている部分を教えてもらえますか?
comment id : 9009019511707216051
主の主張とは、ここでよろしいでしょうか。
----------
ひろゆきの質問「 putain はよく使われる、ということを知っているのか?」に対して、F爺は一切答えられていないため
----------
それでしたら、以下の部分です。
----------
《「ひろゆき」氏って、フランスで何してるのか知らないけど、よっぽど柄の悪いフランス人とばかり付き合って・・・もごもご、ごにょごにょ・・・(以下自主規制)》
----------
上の内容は中日スポーツの記事を受けてのものです。
F爺が「“putain”はよく使われる(条件付き)」ということを、答えるまでもなく知っていた、ということが分かります。
comment id : 3692197248925138216
Sedo amorさん、
主の主張は「事実として広く使われるのにF爺はputainが広く使われることを知らなかった」です。
くどいようですが、
F爺はputainが広く使われることを知っていた、と思いますか?
comment id : 1418820513328961104
「いかなる環境でも頻繁に使われるわけではないが、誰でも使い得る。そしてある種の環境では頻繁に使われる。」
F爺の理解は上のようなものです。
従って「知っていた」となります。
comment id : 272867219214531967
Sedo amorさん、
「putainはほとんどのフランス人は使わない。ただ例外的にのみ使われる」と「putainは広く使われる」は矛盾します。
「putainは広く使われない。例外的にのみ使われる」なら理解できますが、「putainは広く使われる。例外的にのみ使われる」では意味が通りません。
F爺はputainの使い方を知っているなら、矛盾したことを言っていることになりませんか?
comment id : 920789661475192716
----------
「putainはほとんどのフランス人は使わない。ただ例外的にのみ使われる」
----------;
この部分の前段の内容は、F爺の発言内容と異なります。
正しくは、
「“putain”を頻繁に、ところ構わず使うフランス人は多くないが、状況によって(ほぼ)誰でも使い得る。」
です。
先の文の反対解釈から導出されることです。
comment id : 854756590619912886
Sedo amorさん、
「ほとんどのフランス人は使わない」を取っても違和感がありますが。
では別の言い方をします。
F爺は「激越な口論の際」と条件をつけていますね。事実として、そのような場合でなくとも日常的に使って問題ありません。F爺は激越な口論に限らず広く使われることを知らなかったのではないでしょうか?
comment id : 7344313522823849230
----------
事実として、そのような場合でなくとも日常的に使って問題ありません。
----------
階級問わず(フランスは明確な階級社会です)、日常的に使われるということでしょうか。
その内容は、どこから読み取ることができるかお尋ねしたく存じます。
加えて、argumenterさんがフランス語にご堪能ということであれば、加えてその点についてもお伺いします。
comment id : 7821781663675532152
Sedo amorさん、
すみませんが、そろそろ寝たいと思います。
また明日回答します。
では。
comment id : 298600000857741932
argumenterさん
今日の夜は所用につき、お話しすることができません。そのため、以下、私の所感を簡便に述べておきます。
階級の決定要因は、職業・学歴など多岐に渡りますが、「教養の有無」は重要な要素となります。ここに言う教養のうちには「ことば」が含まれます。すなわち、
・文法・語法的な正確性
・語彙の豊富さ
・言葉遣いの適切さ
これらを具備したことばを使用している者が、教養の構成要素の1つを満たす者として認められるのです。
フランスも例外ではないでしょう。「ことば」というものの性質に鑑みれば、当然のことです。人と人、そして人と社会を切り結ぶものである「ことば」の用い方、ここに欠缺がみられる人間に、品格も教養も認められる余地がないことは自明の理です。
話を“putain”という語に戻しましょう。この語が原義において卑語・侮蔑語であることについては、特に争いはないものと解します。そうでなければ、デンベレとグリーズマンの言動が差別行為とみなされたこと自体、おかしな話になりますから。
論点となるのは、派生語義です。
「“putain”という語は、その派生語義にて、日常語として一般社会で、他の一般的な語と同じように、同じ頻度で用いて問題のない語であるのか。そのことにより使用者が不利益を蒙ることはないか。」
が問題となります。
私は「問題あり」と考えます。無論その理由は「F爺が権威者で、ひろゆきが素人だから」ではありません。
確かに言葉の有する意味、その包含は、今現在においても変容の渦中にあるものです。日本語を例に取りましょう。
「頑張る」という動詞は、1950年代頃までは明確に負の意味を持つ言葉でありました。
「意地を張る」「無理に自分の意見を通そうとする」、そのような意味だったのです。それが現代の辞書を引くと、以下の通りとなります。
----------
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して—・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「—・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が—・っているので入れない」
-----------
2つ目に、過去の意味の名残がありますが、第一の意味は、明確にプラスとなっております。
では、“putain”はどうでしょうか。
仏英辞典、仏日辞典を引いてみるとしましょう。
仏英訳
----------
https://www.linguee.com/french-english/translation/putain.html
----------
仏日訳
--------------
putain /pytε̃/
[女] ⸨俗⸩
① 娼婦(しようふ);尻軽(しりがる)女.
② 〈putain de qc/qn〉いまいましい….
Putain de temps!|なんてうっとうしい天気なんだ.
③ Putain! ちえっ,くそっ(怒り,驚き,絶望など).
fils [enfant] de putain
⸨ののしって⸩ この野郎.
-------------
無論、辞書に言葉の包含の全てが掲載されているわけではありません。また先述の通り、言葉の意味は変わりゆくものでもあります。しかし今現在、これほど明確に俗語≒卑語と規定されている語が、現実世界において一般の語と同じ地位を認められていると考えるに足る理由は見当たりません。
“putain”という語が廃語でない以上、この言葉が現実の社会にて用いられる局面は当然あって然るべきです。しかし先に述べました通り、原則として、何らか特段の事情がある場合か、もしくは限定された私的な人間関係の中で用いられるに留まるでしょう。“putain”という語の使用は、この原則に反しない限りにおいて社会的に容認されるものと解します。仮にこの言葉を場を弁えず、みだりに使用した場合は、それに応分の社会的評価─無教養・下層階級など─が待ち受けていることでしょう。
いつの日か、この語が「市民権」を得て、公的な場で、ごく普通に使われるようになる可能性はあります。しかし今はその時ではありません。
私の見解は以上です。何らかの論証ないしは客観証拠がおありでしたら、ご提示いただきたく存じます。
※なお付言しておきますと、私はこの一連の問題については、
F爺には学者としての責任が、
ひろゆきにはコメンテーターとしての責任が、
それぞれあると考えております。恐らく、この点についての議論が一番有益かと考えますが、議題についてはそちらのご都合に合わせます。
comment id : 3297090382012173736
【そもそも論】
そもそも、“putain”という、廃語でもない一単語について「使う/使わない」の形式で立論するのが不毛の極みなんですよ。
下品なスラングはどの言語にもある。
それを「◯十年の人生の中で、一度も使ったことがない」なんて人物がいるはずもないんです。どの国の、どんな教養人であっても、ね。
こんな分かりきったことについて、言語学者はいちいち説明しない。
何も言語学に限った話じゃない。他のどんな学問領域でも同じ。
それをいいことに、学者の言説に瑕疵を見つけた気になってるバカが多数いるのが実に嘆かわしい。
問題は、多岐に渡ります。
・頻繁に使うor殆ど使わない
・公共の場で使うor私的な場でしか使わない
・使うことに抵抗があるorない
・下品な言葉だと思っているorいない
.....
アンケートにて項目を数十個立てて、統計学的に有意な水準を満たすだけのサンプルを取ってみればいい。
その上で、他の中立的な単語─「歩く」でも「りんご」でも「早い」でも何でもいい─と比較してみればいいだけの話。そうすれば、“putain”という語の位相がはっきりするはず。
でも、誰もやらない。何故やらないかって、“putain”が卑語であるという既知の結果が得られるだけなのが分かりきっていて、やる意味がないから。
だが世の中広いもので、頭が極度に不自由な人間には事欠かない。
だからその数だけナンセンスな問いが生まれる。
comment id : 2491050349133514972
Sedo amorさん、
多用するのでなければ階級問わず使えます。
仏和辞典Le Dicoの「改訂にあたって」を読んだときに分かりました。
「これまでは「卑語」として人前で口にするのがはばかられるとされたような表現が、いまでは普通のフランス語として通用する例が急増している」
putainを調べると(驚き、怒りなど)と書かれており、卑語ではありませんでした。
ひろゆきが示した辞書にはfamilier、つまりくだけた表現と書かれています。これだけだと公の場では使えないとも、日常で使えるともとれます。F爺はこれを読んで、なら(ほぼ)使えないと理解したようです。
今手元にはありませんが、別の仏和辞典にはさらに詳しく書かれています。くだけた表現(話)とさらにくだけた表現(卑)を分けており、こちらもputainは卑語ではありませんでした。
話し言葉と卑語を混同してはいけないということです。putainが他の言葉とまったく同じ頻度で使われるかと聞かれれば違いますが、だから卑語だとは言えないと思います。
この動画ではpresque tout le temps(ほとんどいつも)使うと言っています。
https://youtu.be/4K3RDra_cVI
大学の授業でフランス語を勉強したのは一年だけです。授業以外ではフランス人の教授と1対1でデカルトを読んだりしていました。その時は私一人で大学の研究費を使っていました。今はたまにしか読まないので辞書があれば読める程度です。
私の個人的な意見はこの話が終わってからにします。
それと、putainを場を弁えずにみだりに使った場合についてのF爺の指摘は、フランス語として正しいと思います。ひろゆきへの反論にはなっていませんが、私も同意します。
ひろゆきのことをブログでよく「ぴゅろゆき」と呼んでいるような人は最下層階級とみなされる、ということだと思います。
comment id : 2603140110242277900
こんにちは。
教育さん
返信ありがとうございます。
諸事情あり返信できませんでした。遅くなりすいません。
捉え方が変わったのは自分の中です。
変わった経緯としては単純でF爺のブログ、記事を再度読み直した結果、ということになります。
以下を引用します。
>日本の友人から、ひろゆき氏と辻氏の発言内容を教えてもらいました。誤りを指摘する記事をブログに掲載しました。7月7日に配信した「日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人」です。
ひろゆき氏の「putain」に関する発言は完全に間違っています。強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら、たちまち「無教養」とか「無頼漢」と烙印を押されます。<
これは8/6のデイリー新潮の記事の一部です。記者がF爺を取材し、記者の言葉でまとめています。F爺の8/5に注意書きがあります。
尚、F爺は「記事には、配信する前に二回、目を通させてもらいました。相互に誤解が無いことを確かめる必要があるからです。」とのことです。
ここで記者が書いた7/7の内容とブログの7/7の内容は同じ趣旨(相互に誤解が無い状態)である、とうことです。
「単なる強調のために使ったりしたら」は「(putainは)強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語であり、普通に強調の意味で使う人がいたとしたら」と記者は読み取ったことになります。
つまりひろゆきの文にある「強調」と「単なる強調」は関係ないのではないか、ということです。
よって、「単なる強調」の扱いについてはとても注目しています。(論調には関係ないかもしれないですが)
argumenterさんの邪魔をしないようこの辺で失礼します。
comment id : 2798684446889451678
argumenterさん
①以下の点で合意が得られたのであれば、もはや話し合うべき内容は殆ど残っていないのではないでしょうか。
----------
それと、putainを場を弁えずにみだりに使った場合についてのF爺の指摘は、フランス語として正しいと思います。
----------
②ちなみに、F爺は“putain”という語につき、7/7付記事の時点で、頻繁に使われる場面があることを知っていました。以下の文言から、それは分かります。
----------
《「ひろゆき」氏って、フランスで何してるのか知らないけど、よっぽど柄の悪いフランス人とばかり付き合って・・・もごもご、ごにょごにょ・・・(以下自主規制)》
----------
上の文言は中日スポーツの記事の内容を受けています。
「『柄の悪い』下層階級の、あるいは教養の欠如したフランス人は“putain”を頻繁に使う」ということを認識していなければ、この文言が出てくるはずがありません。
併せて、上で行った反対解釈の作業から導出される内容に鑑みれば、F爺が“putain”のフランスでの使用状況につき殆ど無知であった、とは考えられません。
③私はフランス語を解しないため、argumenterさんが辞書で示された内容についての意見は差し控えます。
と申しますのは、
----------
https://vidalingua.com/blog/french-swear-words
https://www.talkinfrench.com/french-curse-words-nsfw/
https://landlopers.com/2012/08/07/top-10-french-swear-words
https://www.rocketlanguages.com/french/words/french-swear-words
----------
“swear word”と“french”で検索すると、上のように、「putain=使うべきではない言葉」とするサイトが大量に出てきてしまい、正解がどこにあるのか分かりかねるのです。
従って「“putain”の原義は侮蔑語であるが、現在は、驚きや怒りなどを表す感動詞としても使い得る。ただし場所と状況を選ぶ」ということを知ったに留まります。
④F爺とひろゆきのやり取りはそれなりに長く続きましたため、どの時点を以て「反論になっていない」とされているのか、お教えいただきたく存じます。
⑤F爺という人物については、私も正直評価に困ります。研究者としての実績・能力については敬意を表します。しかし、一旦「敵」とみなした相手への攻撃が激烈すぎ、かつ侮蔑の仕方も度が過ぎているのです。正直、「何もそこまでしなくても」と思わざるを得ません。「最下層階級」かは分かりませんが、少なくとも上品だとは思えません。
F爺のブログで攻撃の対象となっている人物はひろゆき以外にも多数いますが、誰に対しても大差ありません。
非常に質の高い記事もあるだけに、残念であります。
副産物として、主の、
----------
・【F爺は“putain”を】「少しでも教養がある人間は使わない」と主張しています。
・「事実として広く使われるのにF爺はputainが広く使われることを知らなかった」。
----------
が虚偽であることが分かりましたが、それはどうでもいいことです。
comment id : 6527884775051468593
> 梅干し さん(comment id : 2603140110242277900)
ご説明ありがとうございます。一応意図は理解できたと思います。
私も邪魔しないため、詳しくは落ち着いてから。
> F爺は「(強調のためには)ほとんどのフランス人は使わない」と言っています。
この分の「強調」の部分を「単なる強調」と修正提案は、今の所受け入れられません。「ひろゆきの言葉を否定した」という文脈を大事にしたいため。
comment id : 64094695037375660
「ひろゆきの言葉を否定した」という文脈を大事にしたいため。
それってあなたの感想ですよね?
comment id : 6608777162659148422
> 匿名 さん(comment id : 64094695037375660)
> それってあなたの感想ですよね?
いえ、文脈です。
comment id : 7511205695658234070
Sedo amor(匿名さん) さんに戴いた資料の該当部分を抜き書きしました。もし、英語が読めない方は、Google translate などをご活用ください。
a. https://vidalingua.com/blog/french-swear-words
Putain
Definitely the most widely used French swear word. Literally, it means 'whore' but its use is close to 'fuck' in English. You can find it employed in many different situations to express anger, surprise and admiration. In short, a whole range of emotions. Despite appearances, it is not one of the most vulgar French swear words. But, of course, it depends on the context.
b. https://www.talkinfrench.com/french-curse-words-nsfw/
Putain is essentially a very harsh and impolite way to call someone a whore, but it can be used in the same manner as you would use f*ck in English. You can start your sentence with it, add it towards the end or use it in different parts of speech; it’s pretty flexible.
You can even combine it with merde and say putain de merde ! (f*cking sh*t or literally “whore of shit”) for maximum impact. Just make sure you know when it’s socially acceptable to do so (very rarely and only among friends).
c. https://landlopers.com/2012/08/07/top-10-french-swear-words
This is a very rude and impolite way of calling someone a Whore, although I’m not sure there’s a really nice way to say that.
Matt has a true passion for travel. As someone who has a bad case of the travel bug, Matt travels the world in order to share tips on where to go, what to see and how to experience the best the world has to offer.
d. https://www.rocketlanguages.com/french/words/french-swear-words
One very convenient and popular French swear word is the famous "Putain !", understandably not taught at school by French teachers, but used in almost every sentence by French speakers, in every region of France!
Foreigners who come to visit France are often surprised to hear this unknown word all the time. Putain is literally an old colloquial word for prostitute, and is used to express almost anything.
You will hear French people say Putain ! when dropping something on the floor; when their favorite football team misses an easy goal; to welcome a friend paying an unexpected visit; when they are hot; when they are cold; when they can't remember what they had to do, etc.
c. は明らかに非母語話者(アメリカ人旅行者)によって書かれた解説です。除外した方が良いでしょう。
a. と d. において、ひろゆきの解説と矛盾するものは見つけられませんでした。
b. では使用頻度を最小限に控えるようにとのアドバイスがありますが、これはフランス語学習者に対してのアドバイスであり、フランス語話者のPutainの使い方を表したものではありません。
また、a. b. d. の解説は、どれもF爺の解説とはかけ離れています。
唯一c.のみがF爺の解説と合致しますが、先述したとおり、このウェブサイトの著者のフランス語能力は疑わしいです。なんとも皮肉なことです。
なお、「使うべきでない。」と「使われない。」は、全く意味が違います。現代の言語学では言語の実際の使われ方を重視し、「使うべきか、そうでないか。」は研究対象、もしくは議論の対象とはなりません。
たとえば、英語のfuckに関しては、辞書に以下のような記述があります。
USAGE
Despite the wideness and proliferation of its use in many sections of society, the word fuck remains (and has been for centuries) one of the most taboo words in English. Until relatively recently it rarely appeared in print; even today, there are a number of euphemistic ways of referring to it in speech and writing, e.g. the F-word, f***, or f—k.
出典:New Oxford American Dictionary
つまり、英語のfuckに関しては、タブー語ではあるものの、実際には広く使われるということです。
comment id : 968715743406757886
argumenterさん
argumenterさんは“familier”を「くだけた」という意味で使っておられますが、ウェブ上の仏英辞典・仏日辞典にて、“fuck”等の語についても“tres familier”
と説明されています。
さすれば辞書においては、“familierは単に「くだけた」の意味以外だけだなく、明確にマイナスの意味を示す際にも用いられるものと考えますが、この点、ご存知のことがございましたら、ご教示いただきたく存じます。
comment id : 6363272224599210948
Sedo amorさん、
fワードについて
その場合はputainとfワードは同じレベルだと考えられます。同じくらいマイナスの意味だと思います。
さて、私には相違点があると感じるので説明します。
合意が得られたのは場を弁えずみだりに使った場合のみです。
辞書にはことばの使われるレベルというものがあります。
①アナウンサーが使う言葉、②日常で使う言葉、③口にしない方がいい言葉
とします。putainはPと表記します。
これらはそれぞれ頻度が異なります。ある言葉が①か③かを区別できない人はいないと思います。「Pは他の語と同じ頻度で使われるかどうか」という基準で判断するならば、②と③の違いがよく分かりません。F爺の主張ではPは③です。私は②であると考えています。F爺側の資料(?)を取り入れたとしても、Pは②と③の中間です。ひろゆきの主張が正しいと言えるのはPが②である場合と、②と③の中間である場合です。F爺としては②を否定しているのでPは必ず③でなければいけません。
補足すると、私が示した辞書の例は②がくだけた表現、③がさらにくだけた表現に対応しています。
具体的に言うなら、お聞きしたいのはある語を使っても良いとする辞書よりも、より厳しく使ってはならないとする辞書の方が正しい理由は何かということです。
ひろゆきへの反論にならない理由
Pをみだりに使うような使い方をするなら、Pは③となります。しかし使い方の問題であり、P=③にはなりません。Pのこのような場合のみを取り上げたとしても、P自体の意味を理解することはできません。Pは③となりうる、とは言えるかもしれません。この点は同意します。繰り返しますが、F爺はPが②として使われることを否定しなければいけません。これは単にある辞書、ある例を出すだけでは②の否定になりません。F爺の資料は、ひろゆきの出した資料以上に資料的価値がなければいけません。
F爺が正しくない理由
・Pは③であると主張している。
・「Pは②ではない」という十分な証拠を出していない。そもそも証拠が一つもない。
私はF爺の言っていることが、いちいち説明しなくてもいいほど分かりきっていることだとは思えません。
comment id : 6712029848344992260
①私の提案としては、②をさらにふたつに分割すべきだと考えます。すなわち
・NHkのアナウンサーは使わないが、日常使っても問題の生じることのない言葉。
・日常みだりに使うと、人格や教養を疑われかねない言葉。使える文脈が限られる言葉。
F爺の立場は③に近い②だと思われます。
その理由としては、先に行った反対解釈から、中流以上の階級であっても、然るべき理由があれば使うことも許容される、ということが読み取れることが理由の1つ。
またF爺は、
----------
《「ひろゆき」氏って、フランスで何してるのか知らないけど、よっぽど柄の悪いフランス人とばかり付き合って・・・もごもご、ごにょごにょ・・・(以下自主規制)》
----------
この文言から、下層階級の、教養の欠如した人々は、Pをよく使う旨知っていたこと、このふたつです。
②----------
具体的に言うなら、お聞きしたいのはある語を使っても良いとする辞書よりも、より厳しく使ってはならないとする辞書の方が正しい理由は何かということです。
----------
この質問には、お答えできません。しないというよりも、できないのです。Pの語義がもともと侮蔑語であることだけ分かるものの、他の用法に関しては、フランス語を解しない私には直ちに判断しかねるのです。思うに、この言葉については、階級による認識の差異が大きいのではないでしょうか。
しかし少なくとも、その使用に際し、注意を要する語であるということだけは言えると考えます。
※【もしよろしければ、Pazuさんもこの項目をお読みになってください】
③F爺は、“putain”につき、使われないとも、使ったら即最下層階級行き、などとは述べていません。「古くからあり」また、「ある種の環境では、しょっちゅう耳にする言葉」と述べています。7/7より後の記事では「自分も使い得る」とすら述べています。F爺自身述べている通り、古い言葉なので、歴史の中で意味の変容を幾度にも渡り来してきたことは分かります。
“putain”が下品な言葉・卑語であることについては、フランス社会でも一定の合意があるものと解します。
そして、これも皮肉なことですが、ひろゆきが自説の補強として援用したマクロンの動画、これがその裏付けになってしまっているのです。
「ある種の環境では、しょっちゅう耳にする言葉」「何らか特段の事情があれば、階級の上下を問わず使われる言葉」である“putain”を、マクロンが使っただけの動画の何が面白かったのか。それは、
「グランゼコール出身の知的エリートと考えられていたマクロンが、“putain”という語を使ったことが、マクロンのパブリックイメージに反しており面白かったから。」に他なりません。
このことの前提は、「“putain”は知識人・教養人に似つかわしい言葉ではない」という一般的認識が存在することです。即ちひろゆきが自説に有利な証拠と考えたものは、単なる自説へ反証であった、ということです。
実際の使われ方としては、上のPazuさんが私がURLを引用し、Pazuさんが内容を紹介した部分の通り、「原則として卑語である。ただし、日常の私的関係のうちでよく使われる」というところが妥当かと思います。
F爺が述べていたことは、主として「階級」と「教養」に関わるものと解します。即ち、
「使われることは使われる。ただし考えなしに使ったら『階級』と『教養』についての評価で大損するよ」
というところでしょう。
さて、フランス語を解さない私が、英語及び日本語文献を参照しつつ述べられることはこれくらいです。
④では本題に入りましょう。「F爺とひろゆきの対立の構図」につき、7/7より後に出た情報元も含めて整理すると、次のようになります。
デンベレとグリーズマンの発した“putain”につき、
ひろゆき:若者言葉であり、強調のためによく使われる言葉が、翻訳の過程で本来の意味とかけ離れてしまった。
F爺:若者言葉ではない。行為が為された状況、および表象に則して、明確に侮蔑語として使われている。
というものでした。ここに、ひろゆきの発言・解釈に対し、F爺が解釈を対置する、という形で「ある主張に対する反論」という図式が成り立っています。
F爺側には、デンベレとグリーズマンの悪意につき主張立証する必要がありました。
他方、ひろゆき側としては、デンベレとグリーズマンの“putain”が、「侮蔑語ではない」ことを主張立証する必要がありました。これは所謂「悪魔の証明」ではありません。
ひろゆきは、「AはBではない」を示せばよかっただけのことです。「Aが存在しないことの証明」なら「悪魔の証明」でしたが、実際の問題の性質はこれとは異なります。
この点において、どちらの主張が説得力に富んでいるか、という問題。これが私に論じうる限界でした。
“putain”の派生語義と階級別使用状況については、正直これ以上は私の手に余ります。
comment id : 3380407522435737340
----------
なお、「使うべきでない。」と「使われない。」は、全く意味が違います。現代の言語学では言語の実際の使われ方を重視し、「使うべきか、そうでないか。」は研究対象、もしくは議論の対象とはなりません。
-----------
言語学上、「使うべきか、そうでないか」が研究対象になり得ないのは当然と考えます。
これは学問ではなく道徳の問題ですから。
comment id : 971005421762164940
argumenterさん
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F爺としては②を否定しているのでPは必ず③でなければいけません。
----------
ここまでの解釈からして、F爺が②を完全否定していると解するのはおかしいのではないでしょうか。そして②と③の中間の状態は十分考えられます。F爺の認識としては。「②と③のあいだで、③に寄っている」という状態と考えます。
F爺の認識について何か自分が思い違いをしていないか、もう一度ブログ内を調べたところ、次のような文言が見つかりました。
----------
フランス語の単語「putain」は、
【階層や職業、年齢に拘わらず用いる言葉だから、「若者言葉」の範疇には入らない】
と言っているのです。但し、下品な言葉ですから、教養ある人は、時と場所と場合を弁えずに不用意に口に出すことはありません。
逆に言うと・・・ある種の環境では、しょっちゅう耳にする言葉です。
----------
学者であるF爺の交遊範囲は限られており、その中では「putain」を頻繁に使う人はごく限られているのでしょう。
しかし、上の文言のうち、「但し、下品な言葉ですから、教養ある人は、時と場所と場合を弁えずに不用意に口に出すことはありません。」を裏返して読むと、「教養人であっても、時と場所と場合を弁えた上であれば使う」となり、「原則卑語だが、様々な場面で使われるものである」と解せます。すなわち、「時と場所と場合を弁えずに使う人間」のみ、「無教養」「最下層階級」とみなされる、ということです。
重ねて申し上げますが、私はフランスの現在の言語の使用状況については存じません。しかし仮に、「putain」が相当の頻度で使われるものだったとして、上の文言を読む限り、F爺はそれについて既知であった、としか考えられないのです。
comment id : 4362833219079843369
Sedo amor(匿名さん) さん
ご意見ありがとうございます。
argumenterさんとの議論を邪魔するつもりはないのですが、聞き捨てならないので投稿させていただきます。
「デンベレとグリーズマンの言動は差別的か」はSedo amor(匿名さん) さんのおっしゃるとおり、道徳の問題です。
しかし、「『ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉』が正しいかかどうか」は使われ方について述べているので、言語学の問題です。
対するF爺は、客観的事実ではなく、自分が持っている、’putain’という言葉に対する印象を根拠に、ひろゆきを否定しました。
言語学上、より正しいことを述べているのは、F爺ではなく、ひろゆきです。
言語学の専門家が、言語学の問題について客観的事実ではなく、自身の個人的印象を元に誤った情報を流していることが問題なのです。私もその情報に騙されていたので、私も被害者です。
comment id : 6149436670309248717
Pazuさん
今更になって気づいたのですが、「“putain”という語がフランス社会にてよく使われる」という点については、F爺もひろゆきもほぼ一致しています。
7/7付記事の反対解釈から読み取れること、ならびに、以下の文言に鑑みれば明らかです。
----------
フランス語の単語「putain」は、
【階層や職業、年齢に拘わらず用いる言葉だから、「若者言葉」の範疇には入らない】
と言っているのです。但し、下品な言葉ですから、教養ある人は、時と場所と場合を弁えずに不用意に口に出すことはありません。
逆に言うと・・・ある種の環境では、しょっちゅう耳にする言葉です。
----------
ここでF爺は、「教養人はみだりに使わない」という留保を付しているのみで、フランス社会一般で“putain”がよく使われることについては否定していない、というよりもむしろ肯定しています。両者の見解が完全に対立するに至ったのは、デンベレとグリーズマンの言動を評価する時点です。
とかくF爺が他人を批判するときの言葉の激越さゆえ、上述の内容が読み取りづらくなっていました。F爺は、Pazuさんが仰る「客観的事実」について認識していたはずです。
しかし、だからこそ学者としてのF爺の責任は重いとも言えます。F爺曰く、「理不尽な侮辱に対する自衛のために単に間違いを指摘し訂正しただけ」とのことですが、ネットユーザーの8割程度はF爺の支持に回りました。
ここから先は先日お話した通りです。“putain”という語の歴史的変遷について、及び現在の社会階層別の使用状況について知っていたなら、学者として、その内容を社会に向けて発信すべきでした。
しかし実際にしたことは、既に炎上しているひろゆきに、さらに大量の油を注ぐことでした。明らかに自衛の範囲を超えています。
デンベレとグリーズマンの言動についての解釈については、ひろゆきよりもF爺が正しかった。
しかし、その後のF爺の行動は、学者としてあるまじきものであった。私はそのように解します。
comment id : 2206823641748428999
Sedo amorさん、
はじめに
自分がフランス語が読めるからといって、だから正しいというやり方は私はしません。F爺はやっていますが。どんな人間であれ、データが正しければ、事実でさえあればいいというのがひろゆきがよく言っていることです。
たぶん、ことばのレベルである①②③の内容を変えるだろうと思っていました。
もし変更せず、私が説明したようにF爺がPは③だと主張していた場合、彼は正しくないということを認めたものとします。
①②③の内容を変えれば、F爺の主張は③に近い②だということですね。では変更したとします。
F爺の主張には「ほとんど使わない、日常的に使う、よく使う」があります。これらの主張を使い分ければ、③に近い②だと。
変更した②の中に「日常的に使う」が入っていますが、F爺の主張にこれを含めることはできないと思います。F爺が認めているのは、無教養な人がPを頻繁に使うことです。
②の中に日常で制限なく使う場合と、その中でも限定して使う場合が入ってしまっています。このように変更しておけば、確かにF爺の主張は③に近い②です。
この変更は③の内容を以前の②に入れたものだと思います。その結果として、②のうち「日常みだりに使うと、人格や教養を疑われかねない言葉。使える文脈が限られる言葉」と③の違いが非常に分かりにくくなっています。私の論点は変更後の②の内容にあります。
別の言い方をすれば、元々私が示した①②③のうち③を消してしまって内容を書き換えても成り立ちます。
説明のため②を日常で制限なく使える言葉とします。③はそのなかでも限定して使える言葉とします。
やはりF爺は「Pは②である(今説明した意味での②)」を否定していると思います。
なぜならF爺が言っている「日常で使う」というのは無教養な人か、教養のある感情の昂った人のことではないか? と思うからです。
以上の内容に問題がなければ、当然F爺は証拠を出さなければいけないと思います。
comment id : 3234541008678154746
argumenterさん
まず①~③という記号を使うのをやめにしませんか?
「実社会における言語の使用状況」という、定数的・定量的に答えを出しかねる問題について、形式的な分類の枠組みを持ち出すと、永久に答えが出なくなってしまいます。
F爺の文言に依拠すれば、“putain”という語は、
「日常みだりに使うと、人格や教養を疑われかねない言葉。使える文脈が限られる言葉」であるがゆえに、「教養ある人は、時と場所と場合を弁えずに不用意に口に出すことは」ない、という類いのものになります。
繰り返し申しますが、私はフランス語を解しません。しかし仮に“putain”の禁忌性を、英語の“F◯◯K”と同程度と考えるとするならば、上の解釈は当たらずとも遠からず、と考えます。
それとも現代のフランス社会においては、“putain”の使用は相当に広く許容されているのでしょうか。ご存知でしたら、ご教示いただきたく存じます。
comment id : 5176574039350872632
Pazuさん
Pazuさんのご意見には大筋で同意致しますが、以下の点についてのみ疑義を呈します。
----------
対するF爺は、客観的事実ではなく、自分が持っている、’putain’という言葉に対する印象を根拠に、ひろゆきを否定しました。
----------
F爺の主張は、
----------
F爺:若者言葉ではない。行為が為された状況、および表象に則して、明確に侮蔑語として使われている。
---------
というものでした。言葉の背景にある事情を酌んだ上で持論を述べています。この見方は欧米圏の他のメディアと特段異なることはなく、この時点では妥当性が認められるものだったと解します。
F爺の問題点は、上記の発言の後の行動にあります。詳細は上で述べた通りです。
comment id : 7067612968186462150
Sedo amorさん、
記号を使うと分かりづらくなってしまうので、書き直します。
Putainが日常に合うかどうかを議論しましょう。
ひろゆき:多用しない限り日常に合う。
F爺:日常に合わない。例外的に事情があれば使える。
F爺の論理ではputainは改まった場では使えないということです。しかしこれでは「日常に合うかどうか」を判断することができません。
ひろゆきには証拠があり、それが正しいかどうかを判断しなければいけません。そうすれば、二人のうちどちらが正しいかが分かります。逆に言うなら、これを検証しないなら答えは永久に出なくなってしまうと思います。
putainが広く使われている、使ってもよいという資料はすでに私も出しました。
もし不明な点があれば教えてください。
comment id : 6581961319186443108
argumenterさん
この内容はF爺の主張からは読み取れません。
----------
F爺:日常に合わない。例外的に事情があれば使える。
----------
F爺は次のように述べているに留まります。
---------
下品な言葉ですから、教養ある人は、時と場所と場合を弁えずに不用意に口に出すことはありません。
---------
すなわち、日常生活の中であっても、TPOを守れば使ってよい、との趣旨です。
加えて、「日常」と「改まった場」は相反する社会的局面であり、さらに、「ひとつの社会における一単語の使用状況」を判定するには、辞書とYouTube動画では不十分に過ぎます。
ひろゆきが提出した証拠については、私は殆ど存じません。映画について言及していたのは存じておりますが、「映画で◯回使われた」ことと、実社会での使用の適否は別の問題です。
そして、今に至ってこれを申すのは大変恐縮なのですが、今我々が互いに提示しあっている意見、これらはそもそも反証可能性のあるものなのでしょうか?
comment id : 7170537923927086784
ちなみに、今になって私が反証可能性に言及したのは、
「無理やり答えを出すよりは、分からないものを分からないままにしておくことを選ぶ方が、論題に即して誠実である」と考えるがゆえです。
comment id : 7311279271623087246
Sedo amorさん、
F爺の情報が古く、ひろゆきの情報が新しければ、正しいかどうか分かると思います。もしくはひろゆきの情報がデマであるなら。そのどちらかでしょう。
大雑把に言いますが、事情がなくても世間話でも使えるかどうかです。F爺はそう思ってはいませんよね。事情がなければいけないので。
私は何もフランス語を読めとは言いません。ただ、真実を言っているのはどちらかを議論したいだけです。これ以外の方法があれば提案してください。
先程書いたF爺の論理は的外れであり、ひろゆきへの反論にはなっていません。事情がなくても世間話でも使ってよいことを、論理的に否定できていないと思うのですが。それとも、できているのでしょうか。
comment id : 1695845495708083122
Sedo amor(匿名さん) さん
ご意見ありがとうございます。
事実と異なる記述をされているようなので、再度投稿させていただきます。
>F爺の主張は、 ---------- F爺:若者言葉ではない。行為が為された状況、および表象に則して、明確に侮蔑語として使われている。 --------- というものでした。言葉の背景にある事情を酌んだ上で持論を述べています。この見方は欧米圏の他のメディアと特段異なることはなく、この時点では妥当性が認められるものだったと解します。<
>若者言葉ではない。<
「若者言葉」云々は、7/7の記事には出ていません。ひろゆきが「若者言葉」云々と言ったのは、その後です。
>行為が為された状況、および表象に則して、明確に侮蔑語として使われている。<
7/7の記事では、F爺はあくまで「発音表記」「putainの(非常に偏った)意味」「自分だったらこうする」「誰かがこうしたらこう思われる」ということしか書いていません。つまり、(ひろゆきの部分に関しては)事件の状況には一切言及していないのです。
ですから、私が引用したSedo amor(匿名さん) さんの文章は事実と異なります。
もし私が間違っている場合は、ご指摘くだされば幸いに存じます。
comment id : 2988522388363582850
罵詈雑言織り交ぜながら、こんな感じで逃げ回ってたのを追い詰めたんだからやっぱ俺頑張ったなぁと感じました。
ちな独り言。F爺がputainを「雑談などで『良く使う』のは、なにかの間違い」と書いたことを忘れないようにするとスムーズかと思いますよ
comment id : 125030398151898338
argumenterさん
私はひろゆきが提示した情報を持っていません。内容をご提示いただけると助かります。
あと1点。
“putain”はもともと卑語であったが、最近では日常語として使えるようになった、は真実でしょうか。
comment id : 4117126395796342726
Pazuさん
----------
7/7の記事では、F爺はあくまで「発音表記」「putainの(非常に偏った)意味」「自分だったらこうする」「誰かがこうしたらこう思われる」ということしか書いていません。つまり、(ひろゆきの部分に関しては)事件の状況には一切言及していないのです。
----------
F爺とひろゆきの発言内容については、両者の相違を分かりやすくするため、後日為されたものも含めて私が纏めたものなので、7/7付時点での内容そのものとは異なります。
“putain”という語の用法が、デンベレとグリーズマンの行為の問題になったのは、F爺とひろゆきの対立が生じて以降の話であり、当該行為については「差別行為」で欧米圏・日本とも一致していた(7/7時点でも)わけなのですから、そこは問題にならないと考えますし、必要なら訂正していただいて構いません。
comment id : 8964479031736032859
Sedo amorさん、
ひろゆきの資料は以下です。
france-labo.com/3345.html
youtu.be/5HEverA3iGo?t=…
onsenpeggy.com/5-gros-mots-en…
youtu.be/yFhpp4kZ-UA?t=…
youtu.be/GSeaDQ6sPs0?t=…
二列目の内容を説明します。
字幕を英語にして、putainのところを引用します。
And the first word which we look at, the most important, the most used, the king of kings, I nominated, the word, 《putain ! 》.
この情報によりそれは真実であると思います。
comment id : 1884001860601064380
argumenterさん
あまりにも酷すぎます。
----------
france-labo.com/3345.html
youtu.be/5HEverA3iGo?t=…
onsenpeggy.com/5-gros-mots-en…
youtu.be/yFhpp4kZ-UA?t=…
youtu.be/GSeaDQ6sPs0?t=…
----------
引用された英文は、その引用部分の前の内容が分からないと文意が伝わりません。
そして、1つ目の資料は「putain」を明確に「スラング」と規定しております。
挙げ句、3つ目の資料には、次のように書かれています。
----------
念のため注意してほしいが、これらの言葉は「俗語」なので、フォーマルな場やメール・手紙には向いていない。
カジュアル限定と言った方が良いだろう。
勿論フランス人の中には、ところ構わず「Putain! Putain!」と言いまくっている人を見かけたりもするが、その発言者の民度の低さが問われてくるので、個人的にはお勧めしない。
飽くまで友達や親しい中限定で用いる言葉である。
----------
これではF爺への反論どころか、F爺の論の信頼性の補強にしかなっていません。
再三繰り返しますが、現代のフランス社会においては、“putain”の使用は実際、相当に広く許容されているのでしょうか。
comment id : 389348328873796104
argumenterさん
ちなみに、「フランスで生活したことがないので実際の使用状況は確認していない」という回答は受け付けません。
そちら様は「日常会話にて使える」と断言なさったのです。私はその真偽を知りたくて、このブログに足を運んだのです。
今になって背信的行為は絶対にやめていただきたい。
comment id : 259310726529724327
argumenterさん
ついでに、言及なさった2つ目。冒頭部分にて“informal”“swear word”と前置きした上で話が進められています。
これで「“putain”はところ構わず用いて問題なし」とするのは、明らかに無理です。
仕事につきまた後程。
comment id : 1922112203474641314
Sedo amor(匿名さん) さん
F爺の7/7の記事に書かれていないことについて、さも最初から議論されていたかのように書かれても困ります。
もし、7/7の記事以降のことについてお書きになるならば、記事を重ねるたびに、どのようにF爺が自己の論点ずらしを行なっていったかがわかるようにお願いいたします。
comment id : 7562208674872495560
1人シカトしたらスムーズに議論が行われていて笑える
普通こうだよな
comment id : 776071028195662219
Pazuさん
F爺が行ったのは論点ずらしではなく「付け足し」です。
必要であれば、7/7以前のF爺の立場については、
・デンベレとグリーズマンの発した“putain”は、言動の状況および表象に則して、明確に侮蔑語と判断できる。
とするに留めます。
comment id : 1946763207462947579
argumenterさん
ちなみにそちら様が言及された2つ目の動画の冒頭部分30秒程の非逐語訳は次の通りです。1度聞いて目を通しただけなので、細かい誤りはあるかもしれませんが、大意は誤っていないかと。
「みんな気づいてるかもしれないけど、今日はNoemi(注:文脈上、普段一緒に出演する人物/キャラクター)はいないよ。
なぜだか分かるかい?そう、僕はとても下品で低俗な話をしなければいけないからなんだ。とても粗野で、くだけたことばを使いながら、ね。
そういうわけで今回、Noemiは僕と一緒に出演したがらなかったんだ。」
ここから先は観ておりません。この導入部から、そちら様が引用された部分に話が繋がるとすると、“putain”は「よく使われる下品で低俗な語の代表格」すなわち「代表的な卑語」となります。「日常用いて何ら支障のない語」となる余地がありません。
それとも残余の部分に何らか重要な内容があり、そちらも観れば何か有意な情報を得られるのでしょうか。
comment id : 7360207851479408247
Pazuさん
もうひとつ付け足します。
・下層階級の、無教養なフランス人は、“putain”という語をよく使う傾向にある。
この内容は以下の7/7付記事から読み取れます。
----------
《「ひろゆき」氏って、フランスで何してるのか知らないけど、よっぽど柄の悪いフランス人とばかり付き合って・・・もごもご、ごにょごにょ・・・(以下自主規制)》
----------
comment id : 3413171224686804809
Sedo amorさん、
fワードについて
fワードはputainではないので、同じものではないと思います。重なるところもあれば違うところもあるでしょう。いずれにせよfワードを調べても類推以上のことは分からないと思います。
ひろゆきの主張はputainがフォーマルな場で使えるということではありません。よってフォーマルな場では使えないことは反論になりません。フォーマルに対してカジュアルは「気にせず、注意せずに」という意味です。ひろゆきはputainは気にせず、注意せずに使えると言っています。
動画の説明によればカジュアル限定なのであれば、動画はこのことを説明していることになります。最近では友達との間で日常会話に使える、と言っているように思います。
F爺の反論
F爺は確かに反論しています。反論になるというのは、例えばフランスで生活していてほとんど聞いたことがない、など。この場合はF爺の周りの高齢者に聞いても意味がありません。反論にならないというのは、F爺の反論が単なる思い込みではないかと思うからです。
F爺はputainを使うには用心をして、何らかの事情がある時のみと言っています。
comment id : 4385447640804786666
argumenterさん
----------
動画の説明によればカジュアル限定なのであれば、動画はこのことを説明していることになります。最近では友達との間で日常会話に使える、と言っているように思います。
----------
このご説明は、裏を返せば“putain”を使える社会的局面と間柄はごく限られている、ということになります。
これだと、
①もはやF爺が述べていることと最早さほどの大差はなく、
②ひろゆきの言説は虚偽もしくは明らかな説明不足である
となりますが、そのような認識でよろしいでしょうか。
と申しますか、私はフランスの言語使用状況につきそちら様がよくご存知だと思ってお話したのですが、この点は私の思い違いだったのでしょうか。
もしそうでしたら、大変失礼致しました。無理にこの件につきお尋ねすることも致しません。
comment id : 729249874916827871
argumenterさんの仰ることには納得致しました。
「強調のために」みだりに他人に向けて使ってよい類いの言葉ではないことも承知致しました。
ただ私としては、F爺には尚、学者としての責任が残るものと考えます。
この点については主にPazuさんとお話しすることにしましょう。
今は無理なので、夜以降になりますね。
comment id : 3522944339731990529
Sedo amor(匿名さん) さん
>F爺が行ったのは論点ずらしではなく「付け足し」です。<
なぜ「付け足し」を行なったのでしょうか。それは、F爺の説明が不十分かつ偏向したものであったからに他なりません。
F爺が自説の不備を補うために「付け足し」をするのは構いませんが、その前提として、ひろゆきに詫びを入れるべきです。
>必要であれば、7/7以前のF爺の立場については、 ・デンベレとグリーズマンの発した“putain”は、言動の状況および表象に則して、明確に侮蔑語と判断できる。 とするに留めます。<
その立場は尊重します。
しかし、その立場を維持するために、
>「putain」は、強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語です。…「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。<
などと、不備のある誤った情報を専門家の立場で発信し、特に誤ってもいないひろゆきの発言を誤りだと決めつけ、挙げ句の果てに嘲笑までしようとしたことの罪は免れません。
人間である限り、必ず間違えることがあります。だから、間違えた時はそれを素直に認め、謝れば良いのです。それができずに、都合の良い「付け足し」を行い、相手を攻撃することで自己を正当化しようとし続けるF爺には、言語学の専門家として非常に大きな問題があると考えます。
なお、この態度は、F爺の堀 茂樹 氏に対する人格攻撃にも通ずるものがあります。私は、断固としてF爺の態度に反対いたします。
さらに付け加えさせていただくと、私は、F爺が嫌いだから、このようなことを述べているのではありません。このまま放っておいたら、F爺に思わぬしっぺ返しが待っているかもしれませんよ。
comment id : 8678020397141699085
詫びwww
comment id : 4149685803743730454
Sedo amorさん、
ひろゆきの説明は多くの人が理解するには十分ではありませんし、その例は微秒です。だから私がこうして説明しています。
誤解が解けたのならよかったのですが、ひろゆきは嘘吐き、妄想狂と言われてしまっています。
改めて整理します。
ひろゆき:注意すべきなのはフォーマルな場においてであり、友達との会話では気にせずに(カジュアル)使うことができる。
F爺:フォーマルな場では使えない。さらに友達との会話においても何らかの事情がなければ使えない。(激越な口論の際、というのが何らかの事情にあたります)
動画で確認したように、ひろゆきの主張に嘘吐き、妄想狂と言われる理由はありません。またF爺が言う意味で「限定して使われる」というのは事実とは異なります。友達との会話でも注意した上でしか使えないのならカジュアルではありませんし、動画では友達との会話でも注意するべきとは言っていません。putainはフォーマルな言い方ではないが、広く使われています。つまり真実を言っているのはひろゆきです。
ひろゆきとF爺の両者の主張を私が捏造したのでないならば、このようになります。特にF爺の主張について、もし私が誤解していたら指摘してください。
comment id : 317898867964756850
argumenterさん
フランスでは世代間格差の大きい問題なのだろうと考えますが、“putain”という語についての若年~中年層の認識に則して言えば、ひろゆきの言い分に一理あると考えます。ただし、集まった資料に鑑みると、親しい間柄で使う際にもそれなりに注意すべき言葉なのだろうとは思いますが。
尤も、私の知る限りひろゆきは「フォーマルな場での用法」について語っておりませんゆえ、正確に彼の意見の正誤を判定することはできません。
結局、両者の一連のやり取りが「デンベレとグリーズマンの行為」に端を発することを考える必要があります。
Pazuさん宛にこの後レスを致します。その中でF爺とひろゆき、両者の帰責性についてお話しますので、ご一読いただければ幸いです。少しお待ちください。
comment id : 2066468436316942666
Pazuさん
※段落を丸ごと引用すると長くなりすぎるため、敢えて短く引用致します。全文読まれたい方は、2~3つ前のPazuさんのレスをご覧ください。
----------
不備のある誤った情報を専門家の立場で発信し、特に誤ってもいないひろゆきの発言を誤りだと決めつけ、挙げ句の果てに嘲笑までしようとしたことの罪は免れません。
----------
1つ目の句読点の内容まで賛成、1つ目から2つ目の句読点までの内容に反対、2つ目の句読点から最後の部分に賛成致します。
以下、時系列に沿って私見を述べます。
①以下の中日スポーツの記事が出た時点
----------
ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまったと分析する。(・・・)
----------
この時点では、ひろゆきに明らかな非があったと考えます。Pazuさん、argumenterさん、私の3人で“putain”という語の用法が掲載されたサイトを集めましたが、内容は概ね次のように纏められます。
【卑語だが、現在では様々な感情を表すために日常的に使われる。ただし、ところ構わず使っていいわけではなく、私的関係の内で、親しい間柄の相手同士で用いるのが原則である】
諸々の説明がありましたが、「どこでも、誰にでも使ってよい」とするものは見当たりませんでした。
然るに、デンベレの発した“putain”は、見ず知らずのホテルスタッフに向けられたものです。明らかに「使用が許容される範囲」を逸脱しています。
「現代の、一般論としての“putain”の用法」の説明としてならば、ひろゆきの発言は間違いとは言えなかったかもしれません。しかし、上の状況の説明としては明確に誤りです。
公的媒体にて、人種差別の是認とも捉えられかねない発言をしたひろゆきの責任は重いと言えます。
②F爺の7/7付記事
“putain”という語について十分な説明を果たしていなかった点、F爺に責任が認められます。ですが、この記事はデンベレとグリーズマンの行為、及びその擁護とも取れるひろゆきの言説を非難する文脈にて書かれたものです。この時点では、F爺の責任は「説明不十分」に留まるものであり、「徳義に反する」とまではみなせません(あくまでも「この時点では」です。後に詳述致します)。
③7/7付F爺記事に対するひろゆきのツイート
----------
若者言葉を知らない高齢者の方が「聞いたことが無いからフランス人は使わない」というのは勉強不足なだけだと思います。
----------
ひろゆきにとっては、命取りになった軽率かつ愚かなツイートです。
当該記事をきちんと読んでいれば『聞いたことがないから』の文言は出てくるはずがありません。かつ、F爺の在仏年数と専門分野を知っていれば『勉強不足なだけだと思います』で事が済むはずはないと分かったはずです。
④上記ツイートに対するF爺の反論
使われている言葉は激越ですが、内容的に問題とすべき箇所は見当たりません。言語学者が、依りにも依って言語に関する問題で『勉強不足の高齢者』呼ばわりされたわけですから、怒るのも当然です。後にF爺は『デイリー新潮』の取材にて、『理不尽な侮辱に対する自衛のために単に間違いを指摘し訂正しただけ』と述べていますが、この時点では確かにその通りでした。あくまでもこの時点では、です。
⑤その後
その後の展開については、皆様ご承知の通りです。ひろゆきはネット界隈で嗤い者になりました(未だにフランス語能力の不備をネタにされています)。ネットユーザー向けのアンケートではいずれも大半がF爺の見解を支持するに至りました。そして、F爺のブログの来訪者は激増、本も売れに売れました。
F爺の真の問題点はここから先の行動にあります。すでに自身は世論によって強固に守られ、他方ひろゆきは四方八方から批判や揶揄を絶え間なく浴びせられている状態でした。『自衛のため』なら、最早ひろゆきを攻撃する必要はなかったはずなのです。
にもかかわらず、F爺がしたことは、ひろゆきの論の瑕疵を論(あげつら)い、フランス語能力の欠缺を嗤いの種にすることでした。
ここに、F爺の学者としての倫理観・責任感の欠如がはっきりと認められます。
『自衛のため』に必要なことを了えたなら、差別問題について深く考察するなり、“putain”という語の意味の歴史的変遷について説明するなり、色々すべきことはあった筈です。しかしF爺がしたことは上述の通りです。私見ではありますが、学者としてあるまじき行為だったと考えます。
ネットユーザーの反応を見るに、④の時点で感心して、その後困惑した方が多いのではないでしょうか。
comment id : 1391985478867387457
Sedo amorさん、
私の意見を整理して分かりやすくしたつもりなのですが、ここまで時間がかかってしまいすみませんでした。また、見守っていてくれた方々に感謝します。
ここからが私の言いたいことなのです。
「世代間格差が大きい」を言い換えれば時代に合っていないということです。F爺の常識は古びており、その常識に則して現代のフランス語を語ることはできません。また前時代の人が現代人に対して「何かの間違い」と言うこともできません。
例えば髪を染めることは昔であれば不良とされましたが、今それを言っても否定されるでしょう。つまり、「そんな言葉は不良みたいだ」と言っているのに等しいのです。
正確にひろゆきの正誤を判断できないと言いますが、この今の説明の中でひろゆきに間違いは認められません。問い詰めることはしないので、機会があればもう一度この点を考えてみてください。
反論はいつでもお待ちしています。
ひろゆきの責任の話は他の方に譲ります。一応私も意見がありますが、皆さんの後に書きたいと思います。私の話はここまでです。ではまた。
comment id : 4958136400800830681
argumenterさん
欧州は大概保守的です。
流行り廃りの流れは一直線ではありません。
換言すれば、
「世代間の摩擦が、文化の活力源となっている」
という側面もあるということです。
「フランスは何の国か」と問われると、真っ先に浮かぶのが「カトリックの国」です。
今から10年、20年先のフランス文化がどうなっているかについては確言できません。
日本人である我々が、“putain”の包含を考えるのにも限界があるのかもしれません。
「デンベレとグリーズマンが発した“putain”」
ここまで問題の範囲を絞っても、尚意見の一致を見るのが難しいわけですからね。
comment id : 4258102536001255003
Sedo amorさん
>ネットユーザー向けのアンケートではいずれも大半がF爺の見解を支持するに至りました。
このアンケートって誰がいつ行ったものでしょうか。
また結果は現在もどこかで見れますでしょうか。
comment id : 6075587223103044560
ググれば色々出てきますよ。削除されたものが多数ですが、まとめサイトに保存されてるものならすぐ閲覧できます。例えば、
https://kamisokuonline.livedoor.blog/archives/10577274.html
-------------
〉argumenterさん
高齢者は“putain”という語をタブー視し、使える場面を限定的に捉える一方、
若者は“putain”を卑語と捉えつつも、親しい間柄であれば使ってよい言葉と捉える。
そのような傾向は確かにあると思います。そして高齢者であるF爺も、このような世代的制約と無縁ではないでしょう。
しかし、「古い価値観=消え行く価値観」ではないと解します。すなわち、今後フランス人の“putain”に対する意識がどうなってゆくのかは、分かりかねます。多分F爺も分からないでしょう。
フランス革命から色々のたくった結果、現在は共和制を国是とし(フランス憲法は共和制の絶対性を規定しています)、国民の大半がカトリック教徒、というような社会的変容を経た国であるから尚更、です。
comment id : 6832513608848171055
Sedo amorさん、
続きがやりたければもちろんお答えしますが。ひろゆきが正しいという結論に変わりはないと思います。
ひろゆきは「学者の言説に瑕疵を見つけた気になってるバカ」ではありません。私としては、学者の言説に瑕疵を見つけることなんてできないだろう、と思っている人が多数いることが実に嘆かわしいです。言語学者という肩書きを利用し、一段上からものを言う資格はF爺にはありません。現代のフランス語からしてF爺の言っていることは時代錯誤、無知蒙昧、無思慮であり、自分の知識を疑わないことは思考の衰えを示す最たるものです。ひろゆきからすれば、寝言を言っていないで顔を洗って出直せということです。
古い価値観が生き残るためには、時代の流れについていく必要があります。もし乗り遅れた場合は「終わった価値観」であり、そんなものを持ち出しても話になりません。この関係が逆転するとしたら、古い価値観が現代に受け入れられた時です。正しいのは現代であり、今時代を作っている人が判断することであります。
過去にフランス社会が大きく変容してきたとしても、これからのフランスがどうなるか分からないとしても、この上下関係は変わりません。
月日が流れ、putainがF爺の考える通りに使われるようになったとしても、あの時のF爺は正しかったと言う人はいません。自分が間違えているのに、相手を妄想狂と呼んで罵倒したという事実は変わりません。認知症の人は脳が萎縮しているので感情が抑えられなくなると言いますが、その症状に似ています。F爺が認知症とは言いませんが、認知機能の低下を予防するためトゥイッターを始めてみたり、ひろゆきが何度も「何かの間違い」という発言の根拠を聞いているのですから、その質問に答えたりするとよいと思います。
この勢いで書いてしまいますが、仮にひろゆきが差別をしても問題ないという思想を持っていたとしても、F爺よりはマシです。ひろゆきのは思想ですが、F爺は行動です。F爺は根拠なくひろゆきの名誉を毀損しています。そしてその過程において不正確な情報を発信することは学者にあるまじき行為です。自分の無責任な発言が原因であるにも関わらず一連の行為を「理不尽な侮辱に対する自衛」と称しています。間違いを指摘されてもなお自説にこだわることは、学問に携わる者として大いなる欠陥であると思います。
comment id : 8528373480042166130
argumenterさん
①----------
古い価値観が生き残るためには、時代の流れについていく必要があります。もし乗り遅れた場合は「終わった価値観」であり、そんなものを持ち出しても話になりません。この関係が逆転するとしたら、古い価値観が現代に受け入れられた時です。正しいのは現代であり、今時代を作っている人が判断することであります。
----------
現代は“putain”という語につき、世代による様々な異なる理解、様々な用法が併存している状態と解します。そして「現代」を構成しているのは、何も若い世代に限りません。年端も行かぬ子供から高齢者に至るまで、様々な人々によって、「現代」は構成されているのです。「現代のフランス語」ということであれば、当然、F爺の世代の人々の用いるフランス語も、その構成要素としての資格を有します。世代を異にする人々の価値観、および事物に対する認識の有り様は、それぞれ等しく扱われて然るべきであり、若年層の見解を高齢者の見解より優先的に採用すべき理由はありません。即ち、高齢者の“putain”という語の認識を、直ちに「単なる時代遅れなもの」とするのは不当である、ということです。
なぜなら、社会は未来に向けて一直線に「進歩する」ものではなく、「反動」も度々あるから(実際度々あったから)です。すなわち、今後何らかの事情によりカトリックの規範的拘束力が強まった場合など、現代の高齢者の見解が主流派となりうるケースはいくらでも想定し得るのです。
②次の論点の検討に移ります。ひろゆきは本当に“putain”という語について、正しい説明をしていたのでしょうか。
argumenterさん、Pazuさん、私で資料を持ち寄って、その内容につき検討しましたね。それらから読み取れることにつき、argumenterさんは次のように仰いました。
※筆者注:以下、読みやすくするため、引用部分は極力短く致します。同じページ内に原文がありますので、全文お読みになりたい方はそちらをご参照ください。
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動画の説明によればカジュアル限定なのであれば、動画はこのことを説明していることになります。最近では友達との間で日常会話に使える、と言っているように思います。
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加えて、上の見解につき、私は次のように述べました。
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裏を返せば“putain”を使える社会的局面と間柄はごく限られている、ということになります。
----------
と。
「“putain”は様々な感情を表すのに使われるが、ところ構わず、相手を選ばず使ってよいわけではない」という点では、程度の差こそあれ一致が見られたものと解します。
然るに、ひろゆきはデンベレとグリーズマンの動画についてどのように述べたでしょうか。
当該動画の“putain”は、見ず知らずのホテルスタッフに向けられたものであり、明らかに「“putain”という語の使用が許容される範囲」を逸脱しています。にも拘らず、ひろゆきが中日スポーツにて披瀝した見解は次の通り。
----------
ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまったと分析する。(・・・)
----------
ひろゆきに最大限有利な方向に解釈しても、
・“putain”という語が比較的若い年齢層にて頻繁に使われることは知っていた。
・ところ構わず、相手を選ばず使ってよい言葉ではないことは知らなかった。
としかなりません。これで、ひろゆきが“putain”という語の性質について正しく理解していた、と考えるのは明らかに無理です。上述、高齢者の見解なら「古臭い」で済みますが、ひろゆきの見解は端的に「誤り」です。
尚、重要な点につき強調致しますが、この問題にて「ひろゆきが正しかった」とするためには、上の記事に於けるひろゆきの見解に誤りがないことを示さなければなりません。即ち、「デンベレがホテルのスタッフに向けて発した“putain”に、侮蔑的・差別的意図はない」ことを証する必要があるということです。“putain”という語につき、一般論を述べるだけでは足りません。
argumenterさんは次のように仰っています。
----------
ひろゆきの説明は多くの人が理解するには十分ではありませんし、その例は微秒です。
----------
仮に、上の見解を正当たらしめるだけの証拠資料をひろゆきが示していた、ということであれば、ご提示いただきたく存じます。
【追記:先程知ったことですが、ひろゆきはフランス語の「住民税」と「固定資産税」の区別がついていなかったとのことです。後付けの理由にはなってしまいますが、ひろゆきのフランス語能力の不備はここからも伺い知れます。この上で尚、「“putain”という語についてはF爺よりも正しく理解していた」とするのは無理筋です。】
③疑問は尽きません。そもそも、F爺はフランス語の若者言葉について無知なのでしょうか。
「自身が日常どのような言葉を用いるか」ということと、「自身と異なる世代が用いる言葉について知っているか」ということとは別の問題です。
https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3087.html
上の内容に加えて、現在も講演その他様々な社会的活動に携わっているF爺の立場、および7/7付記事の時点で“putain”の派生語義について明らかに既知であったこと等に鑑みると、F爺が「若者言葉について無知であった」とは考えにくいのです。尤も、7/7付記事の時点では“putain”の派生語義については詳細に語られておりません。しかしこの記事は「説明不足」ではあっても「F爺の無知」を示すものではありません。
F爺の姿勢は「辞書も疑え」です。ここから考えるに、F爺はフランス社会に於ける“putain”という語の使用状況を知りつつ、デンベレとグリーズマンの発した“putain”につき、「若者言葉ではない。侮蔑語である。」とした、と解するのが妥当ではないでしょうか。
④---------
仮にひろゆきが差別をしても問題ないという思想を持っていたとしても、F爺よりはマシです。ひろゆきのは思想ですが、F爺は行動です。
----------
F爺とひろゆき、どちらも「意見を発する」という形にて、「行動」しております。
F爺の責任については、上のレスで述べた通り。
ひろゆきについての責められるべき帰責性は「公的媒体にて、いい加減な知識に基づき、人種差別の是認と捉えられない発言をした」ことにあります。
「どちらがマシか」の判断については、お任せします。
⑤----------
私としては、学者の言説に瑕疵を見つけることなんてできないだろう、と思っている人が多数いることが実に嘆かわしいです。
----------
私は、学者の言説を批判すること自体を悪いことだとは思ってはおりません。まして人文科学の世界です。どれだけ高名な人物でも、あちこち間違いを犯しているのが当たり前なのです。このことは、勿論F爺についても妥当します。これまでに執筆した論文の中に、種々の認識的過誤が含まれていることでしょう。
argumenterさんは学生時代、フランス語にてデカルトを読まれたとのことですが、そのデカルトですら20世紀に於いてはハイエクやポランニーに散々批判されているのです。
私は次のように述べているのみです。「ろくな知見もないのに、専門家の言説に瑕疵を見つけた気になって悦に入っている」のは著しい知的退行であり、嘆かわしいことだ、と。
【最後に】
ネットユーザーの大半がF爺の支持に回ったのは、「F爺が学者で、ひろゆきは素人だから」ではありません。
元々F爺を知っている日本人は、それこそ言語学者か、あるいはトルコ研究者くらいだったわけです。「学者」と言っても、日本ではほぼ無名と言ってよい人物だったのです。にも拘らず、数いるひろゆきの「論戦」相手の中で、なぜF爺があれほどの注目を集めたのでしょうか。
決定的な要因は、両者の日本語能力の差にあったと解します。F爺の日本語文には文法上・語法上の誤りがほぼ見られず、語彙も豊かです。それを見て、多くの人が「ひろゆきが太刀打ちできる相手ではない」と考えたのでしょう。
たまに「言葉はあくまでも形式であって、内容についての理解とは無関係」と主張する人がいますが、事実は全く異なります。
言語は規則の塊であり、覚えるべき内容も多岐に渡ります。
自らの心中にある事柄を、充分量の語彙にて、かつ例外を多数含む規則に従いつつ正しく相手に伝達できる人間が、抽象的概念の把握力だけ欠いている、ということは、およそあり得ないのです。逆もまた然り、です。
comment id : 4653528707678613658
Sedo amorさん、
現代には若者もいれば高齢者もいるのですが、それぞれの世代が等しく扱われることはありません。ある言葉は廃れ、使われなくなります。「私の時代には通用する言葉だ」と主張しても、高齢者として通用するだけであり、若者に当てはめることはやはりできません。反動があることは分かりますが、それは再びフランス語として通用するようになってからでしか言えません。
F爺の時代に正しかったものが今の時代には正しくないということです。数年後にフランスが変わったとしても、今の時代の今日この時点ではF爺が正しくないことは確かです。
「ひろゆきがputainをところ構わず使ってはならないと知らなかった」は読み取れません。動画ではputainはスタッフに向けられたものではなくグリーズマンに言っています。
差別的意図についてひろゆきは言及していません。彼は差別の問題をフランスのニュースと日本のニュースとの関連で述べています。「後進国の言語」とは言っていない、という言葉の問題を言っています。ひろゆきにとって差別表現とは、発言者の意図にかかわらず差別になる表現です。putainはそうではありません。
F爺の認識ではputainはカジュアルに使うものではなく、何らかの事情がなければいけないのですよね。資料によりこれは実際のputainの使われ方とは違うので、若者言葉を知らなかったことになります。
comment id : 22611818104118297
というか仮に若者言葉、カジュアルに使う言葉なら擁護するフランス人が一人も居ないのはおかしいのでは?俺が知らないだけ?
「あれは若者言葉なんだ、だから気にする事ないよ。」
そんな事言ってるの世界中でひろゆきしか居ないだろ。しかもこいつフランス語不得手だし。
comment id : 2113429088233338387
> 匿名 さん(comment id : 22611818104118297)
> 仮に若者言葉、カジュアルに使う言葉なら擁護するフランス人が一人も居ないのはおかしいのでは?俺が知らないだけ?
putain って良く使うよね、って部分がモメてるケースが「ひろゆき vs F爺」以外存在しないので、擁護しているフランス人も存在しないんじゃないでしょうか。
数々のフランス情報サイトを参考にするレベルでは、ひろゆきの言っている事は正しく見えます。
「若者言葉」は説明した通り「若者が好んで使う、年を取ると使うのがはばかられる言葉」の意味でしょうから、認識としてはどうやら正しいようです。
カジュアルに使う言葉かどうかは「よく聞くけど、見様見真似で使うとマズいことになるよ」的な事が書いてあるサイトが多いので、つまりカジュアルに使われている事は事実でしょう。
comment id : 8129526572984120037
いや別にお前に聞いてないし
絡んでくんなよ
comment id : 7383412668494818497
argumenterさん
①---------
現代には若者もいれば高齢者もいるのですが、それぞれの世代が等しく扱われることはありません。ある言葉は廃れ、使われなくなります。
---------
そもそも現に使われているひとつの言葉についてお話しているのですが。
----------
現代には若者もいれば高齢者もいるのですが、それぞれの世代が等しく扱われることはありません。
(中略)
F爺の時代に正しかったものが今の時代には正しくないということです。数年後にフランスが変わったとしても、今の時代の今日この時点ではF爺が正しくないことは確かです。
----------
「今現在において、若年層、中年層、高齢者が併存しており、様々な認識のもとでひとつの言葉が使われている」と申しているのです。「再びフランス語として通用する」という表現は誤りです。正しくは「現に認識されており、使われている」です。
高齢者もれっきとした社会の構成員であるわけです。その現存する人々の認識を「時代遅れ」で「正しくない」等と判断する資格は誰にもありません。それとも、そちら様は「高齢者すなわち老害」とお考えなのでしょうか。いずれご自身も社会から排斥されることを予定した上で、今現在を生きておられるのでしょうか。
もう一つ。社会が何か決められた一本道を進むが如く「進歩」するものであれば、高齢者の認識を「古い時代の遺物」とみなすことも強ち間違いではないでしょう。しかし、今後起こり得る社会的変容が不明瞭であることに鑑みれば、若年層の認識と高齢者の認識のうち、「どちらが正しい」等とは言えない筈です。ましてフランスは、ここ230年ほどのうちに「進歩」を志向する社会的変革と、「復古」を志向する社会的変革、双方を幾度にも渡り繰り返してきた国なのですから、尚更です。
②---------
「ひろゆきがputainをところ構わず使ってはならないと知らなかった」は読み取れません。動画ではputainはスタッフに向けられたものではなくグリーズマンに言っています。
---------
既に語り尽くされていることについて説明させないでください。
「誰に向かって言ったか」ではなく、「何について言ったか」が問題なのです。
デンベレの“Oh putain,la langue!”は「日本人スタッフの話す日本語」について述べたものです。それとも、自分達が話すフランス語について述べたものだとでも言うのでしょうか。FCバルセロナは、存在しない事実について謝罪したのでしょうか。
この欧米圏・日本国内いずれのメディアも採用していない見方を支持されるのなら、それこそ根拠を示していただきたいものです。
カメラの角度その他から、英語及び日本語字幕にて当該動画を観た私でも上述のことは理解できます。
“putain”がスタッフの話す日本語に向けられたものであることは、動画を観たひろゆきにも分かったはず。その上で件の中日スポーツでの発言へつながるわけですから、「ひろゆきには“putain”という語の性質が分かっていなかった」と解するのが自然です。
仮に分かっていたなら、ひろゆきの悪質性が増すのみです。なぜならその場合、「差別行為の意図的隠蔽」となりますから。
あるいは、ひろゆきは当該動画を観ても状況を把握できない極め付きの馬鹿、ということもできますが、こちらの解釈でよろしいでしょうか。
③----------
差別的意図についてひろゆきは言及していません。
-----------
これも語り尽くされた論点ですね。
ある行為が差別となり得るか否かは、その行為が為された社会的文脈と表象によって決まるのです。明確に「差別語・侮蔑語」と規定されていない語によっても、差別は行われ得ます。
例えば「ブラック」という言葉。
「何か飲む?」
「じゃあコーヒー。ブラックで。」
これなら差別行為にはなりません。
一方、街中で黒人を見かけて、
「あ、ブラックが歩いてる!」
これはれっきとした差別行為です。
デンベレの発した“putain”についても同じことが言えます。
④----------
ひろゆきにとって差別表現とは、発言者の意図にかかわらず差別になる表現です。putainはそうではありません。
----------
語るに落ちてはいませんか。
先述の通り、「何をもって差別表現とするか」は一個人が勝手に決めることではありません。
加えて問いますと、ひろゆきは、
「“putain”には侮蔑語として以外の用法もあるから、差別表現にはならない。」
と考えている、ということでしょうか。
これだと、ひろゆきは“putain”の用法以前に「差別とは何か」すら理解していないことになりますが、それでよろしいでしょうか。
ご自身でも、おかしいことを言っているとは思われませんか。
⑤----------
F爺の認識ではputainはカジュアルに使うものではなく、何らかの事情がなければいけないのですよね。資料によりこれは実際のputainの使われ方とは違うので、若者言葉を知らなかったことになります。
-----------
ここで「若者言葉」云々を議論するのはナンセンスです。
F爺は問題発生当初から、すなわちひろゆきについて言及する以前から、デンベレとグリーズマンの行為を「差別行為」と規定し、デンベレの発した“putain”を「侮蔑語」と見なしていたのです。この局面では「“putain”の日常語としての用法」は論点になり得ません。
comment id : 2844754805690580273
勝ち負けだけを言うならf爺の勝ちだろ
歪曲だろうが詭弁だろうがひろゆきがそこを徹底的に潰さなかった時点でひろゆきの負け。大衆意見もf爺側に傾いてる。そもそも7、8月のことを今もうだうだ言ってんのはここぐらいなもんだぞ。こんなことをいつまで論じたって大衆意見は変わらんよ。
comment id : 8823339048481089554
>匿名 さん(comment id : 8129526572984120037)
じゃ俺のブログにコメントしてんじゃねぇよw
comment id : 6044777757320069641
>匿名 さん(comment id : 2844754805690580273)
> 大衆意見もf爺側に傾いてる
大衆がどう感じているかと、論理的にどちらの理屈が通っているかとは別物です。
> 歪曲だろうが詭弁だろうがひろゆきがそこを徹底的に潰さなかった時点でひろゆきの負け
まぁ一理あります。ちゃんと説明しないから理解できない人が続出した。結果として論点をうやむやにされてしまった。
ただ、それを負けと定義するのはやりすぎでは。
論理的にはひろゆきの言っている事が正しいので。
comment id : 7054760060113943815
Sedo amorさん、
すべての世代が等しく扱われていないという例として死語を出しました。
進歩という観点からすれば、我々が進歩したと思っていても、後の時代から見て間違っていたということはあると思います。価値観に正しいも正しくないもないかもしれません。時代によって違うので。今の価値観はこうであり、そこからF爺はズレていると言っているわけです。遅れているから正しくないというよりも、時代とズレているということです。それとも今の時代に合っていると思いますか?
「今は使われない言葉」というのは今の時代を優先しているからです。今生きているすべての人間が使わないという意味ではありません。
私は自分が歳をとれば、世の中の考えについていけなくなるだろうと思っています。歳をとっているのに、自分の今までのやり方がいつまでも社会で通用するとは思っていません。
グリーズマンとの会話であれば、親しい人との会話でありくだけた表現でかまわないと思います。「誰に向かってもところかまわず」ではありませんよね。
ひろゆきは明確に「差別語」と規定されていない語だと言っているだけで、それ以上のことは言っていません。言わなかったというだけで差別かどうかを隠蔽したことになるのでしょうか。
F爺が若者言葉について無知なのかと聞かれたので答えました。
putainは事情がないと使えないと言っており、これは特定の場面について語っているのではなく、一般的な言葉の使い方を説明しています。説明不足なのではなく、F爺は間違った説明をしています。
comment id : 1641197468686984914
匿名さん、
高齢者はあまり使わず、若者は日常的に使うので若者言葉ということです。putainが若者言葉かどうかをフランスでは議論していません。フランス人であればすぐに分かることです。
日本人がどれが若者言葉かを論争しないのと同じです。
comment id : 2115885149621713060
C'est très bon
一般的且つ有名どころ
C'est ○○~
comment id : 5409953113693017266
argumenterさん
①----------
遅れているから正しくないというよりも、時代とズレているということです。それとも今の時代に合っていると思いますか?
----------
特定の言葉が「時代に合っている」とは、そもそもどのような状態を指すのでしょうか。“putain”という語をオープンに用いることは、抑制的に用いることよりも「時代に合って」いるのでしょうか。そしてそれは、正しいことなのでしょうか。考えればきりがありません。そんなことは、誰にも分かるはずがないのです。「分からないから、決めつけはやめるべき」なのです。仰る通り、「価値観に正しいも正しくないもないかもしれない」のです。今後起こり得る社会的変容は不明なのだから、「古い世代の価値観=時代遅れ」「若年層の価値観=思慮不足」などということは誰にも言えない、と申しているのです。
②----------
F爺が若者言葉について無知なのかと聞かれたので答えました。
putainは事情がないと使えないと言っており、これは特定の場面について語っているのではなく、一般的な言葉の使い方を説明しています。
----------
私は問題発生当初=動画流出当初のF爺の見解について述べたのみなのですが、その点は問わないことに致しましょう。F爺の記事から読み取れる諸々の内容についても、敢えて申し上げないことに致しましょう。
先に論じました通り、F爺の“putain”に対する認識は高齢者のものであり、現代の若者言葉については理解が足りていない、と仰るのですね。
百歩譲ってこの点について認め、かつ在仏年数の差、フランス語運用能力の差などを考慮しないものとしても、F爺とひろゆきの立場はせいぜいイーブンにしかなり得ません。
----------
ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまったと分析する。
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再三引用したものですが、ここでひろゆきは「若年層」と「中高年層」に分けて説明していません。
F爺が「若者言葉について理解不足」というなら、ひろゆきは「中高年層の言葉について理解不足」です。言葉が人と人を切り結ぶものであるものである以上、どちらがより悪い、などと言えないはずです。
あくまで「百歩譲った」上での話であることを努々お忘れなきよう願います。
③---------
グリーズマンとの会話であれば、親しい人との会話でありくだけた表現でかまわないと思います。「誰に向かってもところかまわず」ではありませんよね。
---------
重ねて申し上げますが、問題とされているのは「デンベレの発した“putain”が日本語及び日本人に向けられていること」、即ち「差別行為とみなせること」です。
「グリーズマンとの会話」との仮定は事実に反し、無意味です。
④----------
ひろゆきは明確に「差別語」と規定されていない語だと言っているだけで、それ以上のことは言っていません。言わなかったというだけで差別かどうかを隠蔽したことになるのでしょうか。
----------
ひろゆきが“putain”という語の性質と用法についてよく理解した上で、件の動画について既出の通り説明した、ということであれば、「意図的な差別行為の隠蔽」となります。
当該動画は、字幕付きであれば、殆どの常識人が「差別的・侮蔑的言動」と理解する類いのものです。私もそのように理解致しました。その点に触れず、「強調のためによく使われる語が、誤訳によって云々」という説明することは、差別行為の隠蔽もしくは擁護とみなされて然るべきです。
もしくは先述の通り、ひろゆきが極め付きの馬鹿、ということであれば、話は別になりますが。
尤も、件の中日スポーツの記事については、上二者のうちいずれでもなく、「ひろゆきのフランス語能力の欠缺と浅慮ゆえのもの」と解するのが妥当です。
なぜならば、ひろゆきは、ついこの間までフランス語の「住民税」と「固定資産税」の区別すらできていなかったわけであり、その彼が、当該動画の内容及び“putain”という語の解釈だけはきちんとできていた、と考えるべき理由はどこにもないからです。
comment id : 5748629033433088984
argumenterさん
他の方とのやり取りに横槍を入れるのは憚られるのですが、どうしても気になることがございますゆえ。
---------
putainが若者言葉かどうかをフランスでは議論していません。フランス人であればすぐに分かることです。
---------
先日そちら様は、
・フランス語については大学で勉強したのみ
・今はたまにしか読まず辞書があれば読める程度
と仰っていたかと思いますが、なぜ現代フランスの事情にそこまで精通しておられるのでしょうか。
comment id : 3845520832292805934
Sedo amor(匿名さん) さん
お取り込み中、申し訳ございません。
混乱してしまいましたので、確認のために横槍の質問をさせてください。
Sedo amor(匿名さん) さんのコメント...
comment id : 2066468436316942666
上記のコメントによると、Sedo amor(匿名さん) さんは、以下の私のコメント、すなわち、
F爺が、>>「putain」は、強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語です。…「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。< などと、不備のある誤った情報を専門家の立場で発信(した)<<
という記述に賛成されていますよね。
そして、なおかつ、F爺は「putain」の全世代での正しい意味を(「百歩譲」らなければ)知っていたと、Sedo amor(匿名さん) さんは主張なさるのですよね。
ということは、F爺は、その情報が誤りだったことを知っていて、わざと誤った情報を発信したということでしょうか。つまり、錯誤ではなく、故意だったのでしょうか。
もし、故意であった場合、F爺の責任は、とてつもなく重くなってしまいます。
いくらなんでも、F爺がそこまで悪い人だとは、私には思えないのですが。
いつも教えていただいてばかりで恐縮ですが、私の思い違いを正していただければ幸いです。
comment id : 4832882320482557688
Sedo amorさん、
時代に合っているとは、現在の用法としておかしくないかどうかです。
例えば例の動画に映っている人物たちがF爺と同年代の人だったなら何も問題はないと思います。そうでない以上、F爺の言っていることは不適切です。
ひろゆきのputainに対する認識は完全に正しいです。
「相手を選ばず使ってよい言葉ではないこと」をひろゆきが知らなかったとは言えません。
動画はputainが許容される範囲です。なぜなら親しい人との会話なので。
言葉を説明するときは今の用法を説明するだけで十分であって、以前の用法を説明する必要はありません。不平等かもしれませんが、今の言葉は昔の言葉よりも優先されます。言葉は日々新しくなっており、だからこそ死語が辞書の中からなくなります。
またひろゆきにフランス語能力があるかないかということと、この話は実は関係ありません。フランス語が不十分であっても、仏和辞典を読み、英語や日本語で調べればいいことです。フランス語の能力と関係ないからこそ、ひろゆきは言語学者の誤りを正すことができるということです。
ひろゆきが差別的意図を説明していないことは文脈から分かります。日本での伝えられ方、言葉の問題を話しているからです。もし彼の主張が「差別的意図がなかった」であると理解するとしたら、話を理解できていないということになります。
フランス人にとって、ある言葉が若者言葉かどうかを判断することは簡単です。putainが若者言葉であるかどうかを判断することは彼らにとって難しいことではないので、このことを議論することはありません。私にとって明かだと言っているのではなく、彼らにとって明らかだと言っています。これはフランス語の知識があろうとなかろうと誰にでも分かることです。
comment id : 3874805728057847826
匿名さん、
F爺とひろゆきの議論の勝ち負けですよね。
ひろゆきが差別の話をF爺としようとしたという証拠があるのなら出してみてください。
ひろゆきはずっと同じ話をしています。そして、その話の中でF爺が言ったことは間違っていました。
言葉の意味も知らないのに、言葉の裏とか、発言者の意図なんて分からないよね、ということです。ちゃんとF爺に反論していますよ。そもそも、質問されて答えていないのはF爺ですが。
comment id : 4498112624283104066
Pazuさん
①失礼致しました。私の読解に不備がありました。1点訂正致します。
----------
不備のある誤った
----------
この部分をよく読まず「賛成」としてしまいました。
この部分は単に、
----------
不備のある
----------
とすべきであったと解します。
「不備のある」なら単なる「説明不足」ですが、ここに「誤りのある」を入れると、「記述内容が事実に反する」という意味になってしまいますね。大変失礼致しました。
②引用文の元記事のタイトルは、
『日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人』
であり、デンベレとグリーズマンの行為の悪質性を示すことに重きを置いています。
この文脈であれば、“putain”の原義、即ち侮蔑語としての用法の説明に紙面の多くが割かれるのは自然なことと考えます。ただし“putain”は、間柄と場合によっては「様々な感情を表明する用法にて使える」語でもあるようです。以下、我々が持ち寄った資料の内容をざっと纏めたものを再掲します。
【卑語だが、現在では様々な感情を表すために日常的に使われる。ただし、ところ構わず使っていいわけではなく、私的関係の内で、親しい間柄の相手同士で用いるのが原則である】
つまり「ところ構わず使えるわけではないが、親しい間柄であれば気兼ねなく使える言葉」でもあり得る、と。しかしF爺の7/7付記事からは、この内容は読み取れません。私は、この点につき「説明不十分」と述べたのです。ここに「不備」はありますが、「背信的悪意」は見られません。
③---------
そして、なおかつ、F爺は「putain」の全世代での正しい意味を(「百歩譲」らなければ)知っていたと、Sedo amor(匿名さん) さんは主張なさるのですよね。
----------
いえ、そんな途方もない主張はしておりませんよ。それではF爺は全知全能の神か何かになってしまいます。
但し、F爺のブログ記事の内容の網羅性と、その日本語構成力に鑑みれば、F爺の研究者としての知見と力量は相当のものだと分かります。一度、ご覧になってみてください。ほぼ毎日更新しており、扱われる話題は多岐に渡ります。加えて、それなりに長い記事も多い。にも拘わらず、日本語文法上の瑕疵がほぼ皆無です。これらのことから、彼の専門たる言語文化論についての知見があやふやなものだと解するには無理があり、特定語の世代別使用状況についても相当の知見を有すると考えるのが妥当である、と言っているのです。
④ただし、F爺の人格については...何とも言いかねます。此度はたまたまひろゆきが攻撃対象だったためネット界隈で話題になりましたが、F爺にとっては日常のことです。常に、全方位に喧嘩を売ってると言っても過言ではありません。
以前Pazuさんが仰った「しっぺ返し」なら、私が知る範囲でも既に食ってますよ。
又聞きの話になりますが、1990年頃、筑波大学にてF爺を招聘する案が出ました。が、結局廃案になりました。業績と研究能力を疑問視される理由はありませんので、「日本の大学の学内政治の中でやってゆくのは無理」と判断されたのでしょう。
その他諸々、社会的損失は被っているものと考えますが、それについては何とも申し上げかねます。
comment id : 6659267474495879547
argumenterさん
今になって、
・既に述べられた内容の繰り返し
・根拠なき断定の連続
これは困ります。こちらとしても返答しようがありません。が、どうにも看過しかねる点を3つばかり。
①----------
動画はputainが許容される範囲です。なぜなら親しい人との会話なので。
-----------
同じことの繰り返しになりますが、あの動画内でデンベレが発した“putain”は、グリーズマンに向けられたものではありません。言うなれば、デンベレとグリーズマンが2人して日本人及び日本語を嘲笑している構図です。
これでもなお、デンベレの発した“putain”には社会的に許容される余地があったとお考えでしょうか。もしそうお考えなら、最早私は何も申しません。
②----------
フランス語が不十分であっても、仏和辞典を読み、英語や日本語で調べればいいことです。フランス語の能力と関係ないからこそ、ひろゆきは言語学者の誤りを正すことができるということです。
----------
「語の意味は文脈依存的であり、辞書を引くだけでは不十分なことが多い」ということは、高校の英語の授業ですら習うことです。まして此度の問題は現実社会にて、異人種間で起こった問題です。しかもそこには世代及び階級による認識の差異が大きいひとつのスラングが絡んでいるのです。辞書を引くだけで事が済むわけがありません。加えて『フランス語の能力と関係ないからこそ』の意味が不明です。
「フランス語の能力がないからこそ、事態を中立的に見ることが出来る」とでも言うのでしょうか。
私の自己認識としては、「フランス語が出来ないために、日本語及び英語訳に頼らざるを得ず、ために論じられる範囲が狭まっている」のですが。
③----------
フランス人にとって、ある言葉が若者言葉かどうかを判断することは簡単です。putainが若者言葉であるかどうかを判断することは彼らにとって難しいことではないので、このことを議論することはありません。私にとって明かだと言っているのではなく、彼らにとって明らかだと言っています。これはフランス語の知識があろうとなかろうと誰にでも分かることです。
-----------
そもそも、何歳までが「若者」なのでしょうか。「若者言葉」に話題の軸を移すなら、その点について詳細に規定しないことには話が始まりません。にも拘わらず「簡単です」「誰にでも分かることです」と断言されてしまっては、こちらとしては何とも申し上げようがありません。未知の事柄について、対話が成立しない形で意見を表明されても困ります。
comment id : 7778536048360536426
Sedo amorさん、
ひろゆきがputainという言葉を正しく理解していたのかと聞かれたので答えました。
動画では親しい人との会話なのでputainの使い方として問題ない、と私は言っています。ここから「誰にでも使える」とひろゆきが考えていたことにはなりません。ある表現が言語として正しいフランス語かどうかということと、倫理的に言うべきでないかどうかを区別してください。ある差別表現が倫理的に間違っていても、その使われている表現はフランス語として問題ないということが考えられます。
議論しているのはputainの一般的な意味です。もし十分に調べないなら言語学者であれ間違うこともあります。そして、フランス語の素人であろうとしっかりと調べさえすれば正しく理解できるということです。外国語を習得するにはとても長い時間勉強しなくてはいけません。しかし単語の意味くらいであれば知っているかどうかであって、単語によっては素人の方がよく知っていることもあります。
putainが若者言葉かどうか
失礼しました。詳しく説明します。これをフランス人が判断することはできると思います。人により何歳まで若者だと思うかは違います。しかし私たちはある人を若者だと思い、ある人を老人だと思うことができます。老人が使わず、若者が使う言葉が若者言葉です。日本語で言えば「マジで」などです。正確に何歳が若者なのかを決めなくても「マジで」が若者言葉であることは分かります。様々な世代の人を観察して、総合的に判断することができるからです。これはなぜ「putainが若者言葉かどうか」をフランスで議論していないのか、という匿名さんの質問に対する答えです。
comment id : 3455978352174359488
argumenterさん
①----------
動画では親しい人との会話なのでputainの使い方として問題ない、と私は言っています。
----------
もはや、同じ内容の繰り返しはしたくないので、直前の私のレスの①をご覧ください。必要なら、何度でも繰り返します。
②----------
ある表現が言語として正しいフランス語かどうかということと、倫理的に言うべきでないかどうかを区別してください。ある差別表現が倫理的に間違っていても、その使われている表現はフランス語として問題ないということが考えられます。
----------
この「正しいフランス語」というのは「用法として正しいフランス語」ということでしょうか。この文脈で、「文法・語法的正しさ」を論じる理由はありません。まさか「デンベレの話していたフランス語は文法的に正しいので、“putain”は侮蔑語ではない」とは仰らないものとして話を進めます。
この場合「倫理的に正しい」と「用法として正しい」はほぼ同義です。要するに、「使える場面を弁えているか否か」の問題になりますから。
しかるに、当該動画のデンベレとグリーズマンの言動については、欧米圏・日本国内のメディアが一致して「差別行為」と認定し、かつFCバルセロナもそれを認め、スポンサーの楽天グループが抗議し、後に両人が「謝罪」した類いのものです。
「用法の誤り=倫理的な誤り」です。
その上で、当該動画を観たひろゆきのコメントは、これまで再三言及・引用した通りのものです。ここから考えられることとしては、
・ひろゆきは“putain”の語義についてそもそもろくに知らなかった
・ひろゆきは動画を観ても、差別行為が行われていると理解できなかった
ということです。どちらにしても、ひろゆきには当該動画について意見する資格はなかったのです。にも拘わらずデンベレとグリーズマンの擁護と捉えられかねない発言をした。どのように事態を解釈しても、彼は道義的非難を免れません。
③----------
老人が使わず、若者が使う言葉が若者言葉です。日本語で言えば「マジで」などです。正確に何歳が若者なのかを決めなくても「マジで」が若者言葉であることは分かります。様々な世代の人を観察して、総合的に判断することができるからです。
----------
当方、別にいかがわしい商売をしているわけではありませんが、職場の四十代・五十代以上の先輩・上司も「マジで」をごく普通に使います。「超○○」「ヤバい」などについても右に同じ。勿論、クライアントの前その他改まった場では類似の意味の別の語を用います。
「何をもって若者言葉とするか」という問いにに対する確たる答えはありません。これを「総合的に判断することができる」の一語で済ませるのは、有り体に申しまして「言葉の暴力」です。
日本語ですらこうなのですから、フランス語については推して知るべし、です。
“putain”という語についてもこのことは妥当します。この言葉を「若者言葉」と確言することはできません。諸々の資料を持ち寄りましたが、
「中高年層は抑制的に用いる一方、若年層は親しい間柄であれば、比較的気軽に用いる傾向にある『らしい』」
という程度のことしか言えない、確かなことは言いかねるのです。
皮肉なことに、ひろゆきが援用したマクロンの動画が、このことを証しています。
【補足:マクロンの動画とひろゆきの主張について】
マクロンが“putain!”という語を発している動画、どういうわけか、ひろゆきはこれを自説に有利な証拠と考えたようですが、事実は全くの逆です。この動画はひろゆきに一方的かつ全面的に不利な状況証拠でしかありません。
・そもそもマクロンは若者ではない。
・動画を観て広汎な年齢層のフランス人が笑った。
これらの事実は、ひろゆきの主張に反します。
そして、多くのフランス人が笑った理由は、「『グランゼコール出身の教養人』というマクロンのパブリックイメージと、“putain”という語のギャップが面白かったから」に他なりません。
この理由の前提となるのは、「“putain”はという語は、教養人に相応しくないものである」という一般的認識です。
即ちこの動画は、
・“putain”は「若者言葉」とする見解は信憑性に乏しいこと
・“putain”は下品な語、卑語であること
を示唆するものであり、悉くひろゆきの主張に不利なものでしかないのです。
ちなみにこの点、とっくの昔にF爺に指摘されているのですが、それに対してひろゆきが何か有効な反論をした、という話は寡聞にして知りません。
comment id : 6821332810346887998
Sedo amorさん、
Sedo amorさんがひろゆきがputainの意味を知らないと主張されたので、反論しました。差別的意図については話していません。そのため文法・語法的正しさと倫理的正しさを区別してください、とお願いしました。それにも関わらず「それは(倫理的に)正しくない」と言われるのはなぜなのでしょうか。同じ話になってしまうので、この話はもうここでやめた方がいいと思います。私の意見はすでに書いたので、質問があれば遠慮なくどうぞ。
80代、90代の人が「マジで」を使ってもいいいのですが、80代、90代の人が使う言葉だと言われると変だと思います。人はある言葉を新しいと感じたり、古いと感じたりします。もしそうでないなら、若い世代の人がよく使う言葉である、あるいはそうでないという判断ができなくなります。私は現実にそぐわないデタラメを言っているつもりはないのですが。「若い人はよく○○する」という言い方は不可能だという主張は暴論だと思います。
若者言葉かどうか判別ができないということであれば、putainは中高年と若年層で使い方が違うということを分かっていただければ特に私から反論はありません。
comment id : 2254485929179700544
> 動画では親しい人との会話なのでputainの使い方として問題ない、と私は言っています。
「動画では」と前置きしてるからこじれてるのでは?
私には「動画のあの状況下でのputainは問題なかった」としか読めないです。
comment id : 771059008707895911
こんばんは。
>Sedo amorさん、argumenterさん、Pazuさん、
一気に読ませていただきました。いったん落ち着いたようなので。議論お疲れ様でした。
一般的なputainの用法に関する議論においては、
-----
ひろゆきの「英語で言う「F○○K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉」という主張は、間違いではなかった。
-----
現状での結論はこのように見えますがいかがでしょうか?
一般的な用法という角度からの結論となりますが、私も異論はありません。
「マジで」については、
https://www.kanjicafe.jp/detail/6993.html
ここによると「まじで」の形で広まったのは1980年代のようです。今だと50-60代の人ですから、使うのは当然ですね。
しかし、5年前の記事でも、若者言葉として紹介されています。なぜ若者言葉として紹介されているのか、考えればわかるかと思います。
差別についての議論は、(私も含め)みんな差別と思っていますのであまり議論にならないと思います。
以上です。
comment id : 1773814932509776595
argumenterさん
①----------
Sedo amorさんがひろゆきがputainの意味を知らないと主張されたので、反論しました。差別的意図については話していません。そのため文法・語法的正しさと倫理的正しさを区別してください、とお願いしました。それにも関わらず「それは(倫理的に)正しくない」と言われるのはなぜなのでしょうか。
-----------
文法・語法的正しさと倫理的正しさについては、一貫して別個のものとして扱っております。というより、そもそも私はもとより文法・語法的正しさについては問題としておりません。そして、両者を別個のものとして扱っているからこそ、デンベレとグリーズマンの行為、及び両者の行為の擁護と捉えられかねない発言をしたひろゆきの倫理的問題点が浮き彫りになるのです。
「件の動画にてデンベレが発した言葉は、いかに文法・語法的に正しくとも、倫理的に正しいものではありえない。」
と申しているのです。
理由については、再三再四繰り返した通りです。
デンベレの発した“putain la langue!”は、ホテルスタッフの日本語をしばらく聞いた後に発せられたものであり、「日本語への侮蔑的・差別的感情の発露」としか解せないからです。
「差別でもいい」とお考えになるのでしたら、もはや私に言えることは何もありません。尤もこれは「個人の価値観の問題」では済まされるものではなく、およそどの社会でも容認されないものと考えますが、敢えてそれを選択なさるなら、ご自由になさってください。
②----------
同じ話になってしまうので、この話はもうここでやめた方がいいと思います。
----------
有益たりえない対話を続けることをそちら様に要求する資格は、私にはありません。
私との対話の継続をお望みでないということでしたら、こちらは何ら留保なく話を打ち切りと致しますが、その判断についてはお任せします。
comment id : 140903735219657357
Sedo amorさん、
分かりました。
あの発言は文法・語法的に正しいとしても、倫理的には正しくなかった。
としましょう。
ひろゆきの責任についてはとりあえず他の方に任せます。
それでは。
comment id : 2979891507316401937
Kyouikutekiさん、
議論できなくなった責任
あの、こういうことです。
私にとって議論とは他人の言っていることを正確に理解し、自分の考えを論理的に表現し他人に分からせることです。他人と正面からぶつかることです。
そうすると、日本人は角が立つとか粗探しとか言う人が多いです。私は正しいことは分からないとか、どちらの意見も正しいという思想が嫌いです。まぁ、逃げるのは悪ということです。
読んでくれるか不安になりながらも一人で長文を書いてよかったです。
私は相手が逃げたから「やれやれ、終わった」とは思いません。相手がなんであんなふうに判断できるのか、ただ呆れるばかりではなく、探偵のように「なぜそれを行なったのか」まで書くべきだと思います。あえて言えばそれが責任です。
私ははじめ黙って見ていることにしたんですが、ひろゆきと同じように「バカな奴らだ」で終わらせそうだったので出てきました。アンチが出てきて「答えられてない」だの「論理的じゃない」だの言い出すのもひろゆきの場合と同じです。ひろゆきが圧勝ということを説明するこのブログもひろゆきと同じような目にあっていたので、アンチに対しこのブログが圧勝という説明が必要だと思いました。私の説明でどれだけの人が理解できたのかは疑問ですが。
comment id : 2483314309942120001
argumenterさん
一応終わりということでよろしいでしょうか。何かまだ論じ足りないことがおありでしたら、どうぞ仰ってください。
私の立場は再三再四述べた通り。
社会的文脈から切り離された自然言語というものを観念し得ない以上、ひろゆきは道義的非難を免れない、という立場です。
尤も、その理由が彼の無責任な精神的態度によるものか、それともフランス語能力の欠缺によるものか、若しくはその両方か、という点については断定しかねますが。
comment id : 3348446952191560794
Sedo amor(匿名さん) さん
いろいろと教えてくださり、ありがとうございます。
梅干さんとの議論の後に、また改めてご挨拶いたします。
comment id : 6892676765897303691
Pazuさん
ほぼ語るべきことは語り尽くしてしまいました。
明日は来ますが、そこで特に何もなければ明後日以降どうする、ということは言いかねます。
何かあればお早めに仰ってください。
comment id : 7298451248116045936
こんばんは。
>Pazuさん、
改めて非常に勉強になりました。ありがとうございます。
どうやら私は主の自作自演と思われているようなので、どうせ回答は来ません。
私がまとめさせて頂いた結論で問題がなければ、議論することもありません。
Sedo amor さんが急に道義的非難を言い出して論調が変わったのも見てません。
私はここで失礼します。書き込むのはこれで最後でしょう。
Sedo amor さん、argumenterさんによろしくお伝えください。
>教育さん
改めて場を用意して頂いてありがとうございました。
では失礼します。
comment id : 645744133299450946
梅干し さん
いつもご発言を楽しみにしていたのですが、残念です。
一応、Sedo amor(匿名さん) さんに、梅干し さんの結論(comment id : 771059008707895911)で問題がないか確認していただくことにしましょうか。
Sedo amor(匿名さん) さん、確認のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
comment id : 8072143151412571033
Pazuさん
ある程度一致を見た見解としては、
【卑語だが、現在では様々な感情を表すために日常的に使われる。ただし、ところ構わず使っていいわけではなく、私的関係の内で、親しい間柄の相手同士で用いるのが原則である。】
です。これと梅干しさんの見解が同じか、そうでないかの理解についてはお任せします。
comment id : 1606390599309739587
Sedo amor(匿名さん) さん、ありがとうございます。
梅干し さんもよろしいでしょうか。
comment id : 7583306659785896337
Sedo amorさん
すっとやり取りを見ていて、とても勉強になりました。相手の論点に対しての進め方や
自論の説明についてのわかりやすさ、圧倒的な知識と論理展開でした。
本当に、討論のやり方の授業を見ている気分でした。
ありがとうございました。
ブログ主へ
最後でしゃばらないでくれて、ありがとう。
ブログ主の生き方だから、しょうがないんだろうけど
このスタイルで生きていくのかな!?
くれぐれも、心と体が健康でありますように
comment id : 6599558817873641214
皆さん、
ここまで議論してきましたが、その目的は様々な意見を集約して、総合的な主張を見つけることではないと思います。
あなたが「ひろゆきが正しい」と少しでもお考えなら、文脈解釈力について少し危険な領域に踏み込んでしまっています。
私はこの意見に納得していません。
以下の私の主張に反論する方には私はさらに議論を続けるつもりです。
Pazuさんも場合によって議論がまだ続くからこそ、ここで終わるのは残念だと思ったのではないですか?
まとめ
多くの人はひろゆきとF爺が何を議論しているか分かっていません。アンケートなるものでF爺が勝ったそうですが、ひろゆきに言わせればフランス語の分からない人たちがputainの使い方を議論するのはおかしなことです。フランス語の説明をしたところで、馬にありがたい念仏を唱えるようものです。
大多数はF爺の言っていることを信じ、どうやらひろゆきは一つの単語にこだわり、話を誤魔化してなんとか勝とうとしたのだと思っています。彼らにはF爺がどのように誤魔化しをしているのか知る必要があります。ひろゆきは最初から一つの単語の話をしているのです。議論をせずに諦め、ひろゆきに答えずに逃げたのに、自分に問題はないかのようにひろゆきにその責任を押し付けています。これはF爺の言葉を借りれば卑劣です。
ひろゆきは嫌味を言っているだけで人格を攻撃しているわけではありません。
議題のすり替えを試みていません。(F爺が差別の話をしようとした)
単語の意味に関しても無知ではありません。(知らなかったのはF爺)
これで自分のブログで勝った、勝ったと言っているのですから不思議なものです。F爺は自分のやっていることに気付いているのか知りませんが、ひろゆきを負けお玉杓子と呼んでいます。
ここのブログはひろゆきとF爺の議論は論理的にひろゆきの勝ちだと言っています。論理的、とは論理があってこそ言えることです。二人のやりとりの中で、どちらの論理が正しいかということです。このうちで差別に関する論理はひろゆき側にはありませんでした。差別を除いた議論ではひろゆきが正しいです。(例の出し方がおかしいところはありますが)
ひろゆきが述べていないことについて「差別に気づいていない、差別を容認している」と言ってもいいのですが、議論としてはルール違反です。相手の主張を確認しましょう。まず差別だと思うかを聞いて、そしてその話はしていないと言われたらその議論をするべきではありません。
そもそも、この話をひろゆきの言っている内容を知らず、彼の出した資料も調べずに判断していたとしたら、その判断は原理的にすべて間違っています。
きっと彼ならこう言うでしょう。
なんかそういうデータとかあるんですか?
comment id : 4451926341690310826
argumenter さん、Sedo amor(匿名さん) さん、
ひろゆきの発言については、言語学的には少なくともF爺よりは問題が少ないということは、ここの参加者全てが合意しているので、今度は、F爺の発言のどこが問題かを議題にしてはいかがでしょうか。
ちょうど新しい記事も上がってきたことですし。
https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3158.html
comment id : 7326527801351982399
ちなみに、ひろゆきの責任については、F爺の発言を一切引用しない方が分かりやすいんです。「言語学的な正しさ」についても同じ。
以下私見。
【ひろゆきの道義的責任および説明責任について】
ひろゆきが、
「差別問題については言及していない」
「差別かどうかについては説明責任を負わない」
はずがないことは、簡単に分かるんです。
ここにF爺の発言内容を絡めると、さも問題が複雑になる「ように」見えるだけです。
「ひろゆきの道義的責任」については、F爺の言葉を一切引用しない方が却って分かりやすいのです。
「ひろゆきが述べたこと」のみ時系列順に追っていけば、事態が実にシンプルであることが分かります。
①まず、中日スポーツの記事から。
----------
ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまったと分析する。
----------
ここに出てくる“putain”は「デンベレが用いた“putain”」です。すなわち、ひろゆきが言及した“putain”には明確な「特定性」があります。この点、しっかり踏まえておくことが重要です。
「デンベレが用いた“putain”は、強調のために、雑談でよく使われる言葉なのだが、誤訳の結果『差別語』とみなされるに至った。」
と述べています。含みとしては、「流出動画での“putain”は差別語じゃないんじゃない?」くらいでしょうか。
②しかしこのデンベレの発言は、欧米圏・日本国内問わず主要メディアが一致して「差別行為」と見なしたものです。この内容と、先述のひろゆきの見解を対置すると、次のようになります。
【各国主要メディア:デンベレの発した“putain”は差別語である。
↑
↓
ひろゆき:流出動画で、デンベレが発した“putain”は差別語じゃないんじゃない?】
即ち、ひろゆきは、ほぼ全世界のメディアが「差別行為」と認定した事柄について、大方の見方に反し、上のように述べていたことになるわけです。
これで、ひろゆきが「差別問題については言及していない」「差別かどうかについては説明責任を負わない」とするのは明らかに無理です。
公的媒体にて、社会問題について持論を述べておいて、それについての説明責任・社会的責任は負わなくて済む理由がありません。
③この点、ひろゆき自身も自覚はしていたようで、東京スポーツ記事にて次のように「釈明」しています。
----------
「簡単に説明すると、僕は単語の使い方自体の話をしてるんですよね。選手がどう使ったかの話はしてない」
----------
釈明になっていません。なぜならば、ひろゆきが言及した“putain”には、先述の通り明確な「特定性」があるからです。
即ち、直ちに次の問いが成り立ちます。
・「“putain”という語が含まれるフランス語資料は無数にあるのだが、誰の、どの“putain”について『誤訳だ』と述べたのか?」
・「“putain”には様々な意味があるが、誰が、どのような意味で使ったのが、どのような意味に誤訳されたのか?」
ひろゆきの発言が件の流出動画についてのものである以上、ひろゆきが言及した“putain”は、デンベレが発したもの以外ではあり得ません。「選手がどう使ったかの話はしてない」という抗弁は、成り立ちません。
それともひろゆきは、「動画についてのコメントを求められた」にもかかわらず、「敢えて動画の文脈とは無関係に、フランス語のスラングの話をした」のでしょうか?この解釈には無理があります。
結局、②と同じ結論に至ります。
④尤も、ひろゆきが、
・何も、あるいはろくに考えずに適当に発言した。
・動画内で用いられているフランス語がよく分からなかった。
という可能性は考えられます。しかしいずれにしても、
「『人種差別』という問題の性質もろくに考えずに、無責任な発言をした。」
「そもそも動画についてコメントするだけのフランス語能力がないのに、いい加減な発言をした。」
という別の道義的非難が生じるのみです。
以上。
他の方が話を続ける際の参考になれば。
comment id : 1828744558865742196
おはようございます。
つい見てしまいました。自分の意志の弱さを痛感しますね。
>Pazuさん
ご配慮ありがとうございます。1点だけ。
何故、この個人のブログで、Sedo amorさんと議論をしていたのか思い出してください。
記事に即した結論があるはずです。
私の書いた結論は、かなりマイルドです。私は議論に参加できていないので、私から踏み込んだことを言う勇気はありませんでした。すいません。
>argumenter さん
私は「F爺がひろゆきの論拠をくずせていない。だからひろゆきが有利」という見解でここにいます。
>Sedo amorさん
残念です。最初はF爺が有利であることを述べに来ていると思っていたのに、実際はただひろゆきを批判したいだけだったのですね。
最後に
ひろゆきは動画の中でputainの一般的な使われ方について最初に話しています。それを選手2人の発言に適用しています。そして言語設定のことだと主張しています。だから悪口程度だろう、なのです。(F爺が差別について批判したいのであれば、ここを指摘するべきだったと思いますけどね)
あれだけ前後の文脈は大事だと言っている(た)のに、putainだけで差別だとするのは愚かなことです。
そしてSedo amorさんはさっきまでここで一般的なputainの話をしていたのを忘れています。
忘れていなければ、「釈明になっていない」という結論はでてきません。
そして最早、F爺vsひろゆきでも何でもありません。
ではこれにて失礼します。
comment id : 3779811134359924148
> argumenter さん(comment id : 2979891507316401937)
> 他人と正面からぶつかることです。
> どちらの意見も正しいという思想が嫌いです
なるほど、意図は分かりました。私と argumenter さんで、たぶん一番意見の合わない部分はそこでしょう。
> 探偵のように「なぜそれを行なったのか」まで書くべきだと思います。あえて言えばそれが責任です。
実はここは同意見。単に方法論が違うという事かと思います。
私は世の中に「100%間違った意見」というのは存在しないと思っています。なので、まずは相手の意見・主張を聞き、どういう論理かを確認します。
そして自分の意見との対立軸はどこなのか、というのを明らかにしようとします。
その上で、どういう判断するのか、なぜそういう判断になるのか、という意見をぶつけるのが「議論」だと思っています。
今回、私は相手の意見を汲み取るため様々質問し、結果的にスプレッドシートにまとめているように Sedo は様々な各論に逃げていきました。
私はそれを責めずに「1つずつ解決しましょう」と順番に話を進めました。
結果的に、 Sedo は答えづらくなったら罵詈雑言浴びせて逃げていきました。
これって、実は Sedo も「0か100か」思想だからだと思います。少しでも自分に間違いがあると、自分が「0」だと認定されると思ってビビってしまったのでしょう。
ゼロを恐れるあまりに罵詈雑言浴びせて逃げるのでは、お互いの意見をすり合わせる事ができません。
なので、私は「0か100か」という進め方は、好きではないんですよね。
■今回振り返って
もし差し支えなければ、感想を聞きたいです。
argさん、今回 Sedo との会話を振り返ってどう感じましたか?
自分の聞きたいポイントは、ちゃんと聞けたし、ちゃんと答えが返ってきた感触でしたか?
comment id : 5357526441245833461
> ただの外野 さん(comment id : 7583306659785896337)
> 本当に、討論のやり方の授業を見ている気分でした。
もう少し論理的な組み立てとかを考えるといいでしょう。
はぐらかして答えたくないポイントから目線をそらしているんですよ。
なので、私が「1つずつ明確にしていこう」って進め方をすると、困るんで罵詈雑言浴びせて逃げたわけです。参考にしない方がいいですけど、まぁあなたには通じないでしょうね。
comment id : 1751050607632215821
> argumenter さん(comment id : 6599558817873641214)
端的に、まだ argumenter さんが問題だと思っているポイントと、その根拠を整理するとより明確になると思います。
■argumenter さんの考える問題点
1) F爺の言う「putainの使い方」は誤りである
2) 文脈により「F爺は差別かどうかを語っている」のであり「putainの使い方については枝葉末節だ」とするのは誤りである
■各問題点の議論の状況
1) F爺が誤った説明をしたかどうかが曖昧な状況
2) 文脈についてはあまり議論が進んでいない
「putainという言葉が卑語かどうか」ということと「F爺の説明は誤りだ」という事との繋がりを継続して議論したらいかがでしょうか。
comment id : 8506741663420799736
> Pazu さん(comment id : 4451926341690310826)
> 今度は、F爺の発言のどこが問題かを議題にしてはいかがでしょうか。
って思ったら Pazu さんがまとめてくれてましたね。失礼しました。
comment id : 4948011992621496529
> Sedo amor(匿名さん) くん(comment id : 7326527801351982399)
> ひろゆきが、
> 「差別問題については言及していない」
> 「差別かどうかについては説明責任を負わない」
> はずがないことは、簡単に分かるんです。
ここがまず決めつけですね。言い方を変えれば詭弁(論点先取)です。
①
「誤訳の結果『差別語』とみなされるに至った」これが間違いですね。
②
> ひろゆきが「差別問題については言及していない」「差別かどうかについては説明責任を負わない」とするのは明らかに無理です。
誰もそんな事は言ってません。
それとF爺との言い合いは別問題。
③
明らかにひろゆきの述べた putain の用法は一般論です(雑談でよく使う。差別語ではない)。
それを援用して「あの会話におけるputainは、よくある話じゃ無いの?(差別ではないのでは?)」というニュアンスを出してます。
直前の「誤訳により」という、明らかに日本国内に関してのみ話題にしている流れからも、ひろゆきが「あの会話におけるputainは差別的用法ではない」と判断して「いない」ことは明らか。
comment id : 6462362719699178180
> 梅干し さん(comment id : 1828744558865742196)
> (F爺が差別について批判したいのであれば、ここを指摘するべきだったと思いますけどね)
この指摘にすべてが詰まっていますね。
「putainを強調で使うのは何かの間違い。最下層階級の言葉」
「雑談で使ったら走って逃げ出す」
的な事を言ったがために、その後に続く言葉が全く違う向きに行きました。書かなければ良かったのにね(ブログ本文にも書いた通り)。
comment id : 5219210927449154977
Sedo amor(匿名さん) さん
>【各国主要メディア:デンベレの発した“putain”は差別語である。<
恐れ入りますが、“putain”は、いついかなる時でも「差別語」あるいは「差別用語」でありません。コンテキストによって酷い侮辱を表すこともありますが、その場合でも「差別語」あるいは「差別用語」とはなりません。
「差別語」あるいは「差別用語」とは、「特定の人・団体・性別・職業などを不当に低く扱ったり、見下したりする意味を含む言葉。」です。例えば、”Jap”は差別語です。
ただし、“putain”を使うことで、文全体が差別的であるとコンテキストにより解されることはあります。その場合でも、“putain”自体は差別語ではありません。
comment id : 3945932251479733962
kyouikuteki さんは書きました
> 直前の「誤訳により」という、明らかに日本国内に関してのみ話題にしている流れからも、ひろゆきが「あの会話におけるputainは差別的用法ではない」と判断して「いない」ことは明らか。
ツイートで今回のputainは悪口であるという主張をしています。
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今回のsales gueulesとputainはフランス人に向かっても使う言葉なので、酷い悪口ではありますが人種に言及した言葉ではないと思いますが、いかがですか?
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また、悪口と差別は別とも言っています。
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フランスでは人種差別は違法なので、差別と悪口は差があります
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上記2つを合わせると今回の(あの会話における)putainは差別的用法でないと判断して「いる」ようにしか見えませんが…
comment id : 6721083680894736065
梅干しさん
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残念です。最初はF爺が有利であることを述べに来ていると思っていたのに、実際はただひろゆきを批判したいだけだったのですね。
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最後に誤解を正しておきます。
私はF爺の肩を持つつもりも、ひろゆきの肩を持つつもりも端からありませんよ?
両者に帰責性があり、それは性質を異にするものである、と述べているのです。
くれぐれも、誤解なきよう。
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ひろゆきは動画の中でputainの一般的な使われ方について最初に話しています。それを選手2人の発言に適用しています。そして言語設定のことだと主張しています。だから悪口程度だろう、なのです。(F爺が差別について批判したいのであれば、ここを指摘するべきだったと思いますけどね)
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あの動画を見て、デンベレの発言が「日本人スタッフの話す日本語」ではなく、「ゲームの設定言語」に向けられたものだと解釈した、と。そうなると、ひろゆきは、
「欧米圏・日本国内の各メディアが『差別行為』と認定し、FCバルセロナも認めた事実を正しく認識できなかった」
ということになり、著しく頭が悪い人物、となりますが、そのような理解をなさるということでしょうか。それなら仕方ありませんね。
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あれだけ前後の文脈は大事だと言っている(た)のに、putainだけで差別だとするのは愚かなことです。
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勘違いしないなさらないでください。
・ひろゆきが
・件の流出動画の『文脈』を踏まえて
・その上で“putain”という語につき言及した
ことについて述べているのです。その上で、「デンベレの発言をひろゆきがゲームの設定言語についてのものと理解した」というのであれば...以下同文。
話すべき事柄は概ね話し終えてしまいました。
何かお話になりたいことがおありでしたら、
①新規(argumenterさんとの間で為されたものを除く)の議題
②意見
③主張理由
の三点を明記の上、どうぞ。
明日までは来ますので、それまでに。
comment id : 1620661035975992223
ついでに、「論点先取」の意味を誤解している方がいるようなので。
「論点先取」とは、
「説明が為されていない(議題によっては証明が必要な)必要な事柄を、所与の前提の1つとして扱うこと」
を指します。
「主張→主張理由」の順で話を進めるのを「論点先取」とは言いませんので、こちらも誤解なきよう。
comment id : 1068117932857233379
Pazuさん
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恐れ入りますが、“putain”は、いついかなる時でも「差別語」あるいは「差別用語」でありません。コンテキストによって酷い侮辱を表すこともありますが、その場合でも「差別語」あるいは「差別用語」とはなりません。
「差別語」あるいは「差別用語」とは、「特定の人・団体・性別・職業などを不当に低く扱ったり、見下したりする意味を含む言葉。」です。例えば、”Jap”は差別語です。
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私が言っても書いてもいないことについて言及されても困ります。
既にある程度意見の一致を見たことです。
【卑語だが、現在では様々な感情を表すために日常的に使われる。ただし、ところ構わず使っていいわけではなく、私的関係の内で、親しい間柄の相手同士で用いるのが原則である。】
この理解に基づいて、デンベレが動画内で発した「ある一特定の」“putain”について、「差別行為」と述べたのです。
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ただし、“putain”を使うことで、文全体が差別的であるとコンテキストにより解されることはあります。その場合でも、“putain”自体は差別語ではありません。
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そうですね。私もそのように理解した上で、デンベレの行為について述べたのですが、何か問題と感じられたのでしょうか。
comment id : 3533764105090225402
失礼。訂正しておきます。
話すべき事柄は概ね話し終えてしまいましたね。
何かお話になりたいことがおありでしたら、
①新規(argumenterさんとの間で為されたものを除く)の議題
②意見
③主張理由
の三点を明記の上、どうぞ。
今晩22:00頃にまた来ますので、それまでにどうぞ。
そこで新規の話がでないようなら、話をまとめてもらって構いません。
誰が、どのようにまとめるかはお任せします。
comment id : 7883445565461083921
Sedo amor(匿名さん) さん
>私が言っても書いてもいないことについて言及されても困ります。<
下記のコメントではっきりと言って書いていらっしゃいます。
comment id : 7326527801351982399
②しかしこのデンベレの発言は、欧米圏・日本国内問わず主要メディアが一致して「差別行為」と見なしたものです。この内容と、先述のひろゆきの見解を対置すると、次のようになります。 【各国主要メディア:デンベレの発した“putain”は差別語である。 ↑ ↓ ひろゆき:流出動画で、デンベレが発した“putain”は差別語じゃないんじゃない?】
comment id : 329963340204358906
Sedo amor(匿名さん) さん
つまり、問題は、各国主要メディアが事実と異なることを書いており、ひろゆきが正しいことになりますよ、ということです。
comment id : 1295787345130476171
Pazuさん
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【各国主要メディア:デンベレの発した“putain”は差別語である。
↑
↓
ひろゆき:流出動画で、デンベレが発した“putain”は差別語じゃないんじゃない?】
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あの...。
上の文の修飾・被修飾関係をきちんとご覧になってください。
「デンベレが発した」「デンベレの発した」は“putain”に掛かっている、即ち
=【デンベレの発した“putain”に話を特定している】
のですが。
換言すれば、「当該動画でデンベレが発した“putain”」に限定して話をしているのです。
私の説明が悪かったでしょうか。
comment id : 2179279644515821558
Pazuさん
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つまり、問題は、各国主要メディアが事実と異なることを書いており、ひろゆきが正しいことになりますよ、ということです。
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自身のレスを読み返しましたが、どうにも上の通り解釈する余地がありませんでした。
揚げ足取りでなく、上のように読める妥当な理由がありましたらご指摘ください。
ひょっとしたら、私の説明がまずかった可能性なきにしもあらず、ですので一応。
もし誤解が解けたようでしたら、レスはいただかなくて結構です。
comment id : 8314054339790515397
Sedo amor(匿名さん) さん
揚げ足取りと思われたのは心外でした。
ご気分を害されたのであればお詫び申し上げます。
>あの...。 上の文の修飾・被修飾関係をきちんとご覧になってください。 「デンベレが発した」「デンベレの発した」は“putain”に掛かっている、即ち =【デンベレの発した“putain”に話を特定している】 のですが。 換言すれば、「当該動画でデンベレが発した“putain”」に限定して話をしているのです。<
はい。承知しております。残念ながら、限定してもしなくても“putain”は差別語ではあり得ません。“putain”自体に、日本人だけを侮辱する意味がないからです。
例えば、
(1) ジャップは醜い。
(2) 日本人は醜い。
(1) は日本人を差別する差別語「ジャップ」をつかい、文意も差別的です。
(2)は差別語を一つも使っていませんが、文意は日本人に対し差別的です。
”Putain”はこれらの例文で言うと、「醜い」に当たります。だから差別語ではありません。
それとも「デンベレの発した“putain”は差別語である」と主張している記事があるのでしょうか。
comment id : 7724395015059704185
Sedo amor(匿名さん) さん、みなさん、
この度はいろいろと教えていただき、誠にありがとうございます。
ひろゆきの道義的責任(倫理的責任)については、すでにひろゆきが責任をとったということで、(comment id : 8886989058781988403)F爺の言語学者としての責任を追求したいと思います。
この点では、Sedo amor(匿名さん) さんをはじめ、梅干し さんやargumenterさんも賛成してくださると思うので、討論というよりは、意見のすり合わせに近くなるのではないかと思われます。
最近のF爺のブログを見てもお分かりの通り、”putain問題”に関しては、いまだに尾を引いています。2021/10/22付の記事では、堀茂樹名誉教授(以下敬称略)が”putain問題”関係で攻撃されています。
https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3158.html
私は、ここに大きな問題が2つあると考えています。
1つは、”putain”に関して、言語学的に誤った情報を発信していること。
もう一つは、堀茂樹の人格を不必要に攻撃していることです。
いまだに被害者が出ているということは、世間一般の常識とは異なり、”putain問題”がまだ収束していないことを意味します。
みなさんで協力して、F爺の問題を詳らかにし、不当な人格攻撃をやめさせたいと思うのですが、みなさんのお考えをお聞かせください。
ここは、もともと、kyouikutekiさんのブログなので、kyouikutekiさんにも、ぜひご意見を賜りたいと存じます。
comment id : 4237732775321201811
Pazuさん
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はい。承知しております。残念ながら、限定してもしなくても“putain”は差別語ではあり得ません。“putain”自体に、日本人だけを侮辱する意味がないからです。
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だから、“putain”一般が差別語だ、等と誰が言いましたか。
こう言い直しましょうか。
「件の動画内で、日本人スタッフにカメラを向けた状態でデンベレが“putain”と発した行為は、差別行為である」
こう直せばよろしいでしょうか。
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みなさんで協力して、F爺の問題を詳らかにし、不当な人格攻撃をやめさせたいと思うのですが、みなさんのお考えをお聞かせください。
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主のブログなので、やるかやらないかは主に聞いてください。
ちなみに参加はお断りします。
これまで述べた通り、「F爺の言論に対する姿勢にも問題点あり」との立場ではありますが、実益に乏しい活動に参加するつもりはありません。
そもそも、いざF爺と論戦する、となったらどうにも勝てる気がしません。
comment id : 3236640153251589316
Pazuさん
私はそちら様の素性は存じません。ただし、フランス語の一単語の解釈についてF爺と争うとなると、ハードルは極めて高い。
・F爺並みの言語学・言語文化論についての知見を有すること。
・F爺と同等のフランス語運用能力を有すること。
・現代フランス社会における言語使用状況について、F爺並みに知っていること。
この3つ具備していないことには勝負になりません。人材のアテはあるのでしょうか。
あと私としては、F爺については「精神的態度に問題あり」と考えますが、
研究者としての知見の卓越性を認めてもおります。
この2つは、別物なのですよ。
あとここは、Pazuさんにとっても私にとっても「他人のブログ」です。活動を呼び掛けるなら、ご自身でブログを立ち上げるなどなさってはいかがでしょうか。
comment id : 8810895634318817632
こんばんは。
>Sedo amor さん
返信ありがとうございます。私は誤解ばかりですね。失礼しました。
>>両者に帰責性があり、それは性質を異にするものである、と述べているのです。
教育さんとの話もこの見解をベースに話をされていたのでしょうか?となると話が噛み合わないのも致し方ないと思います。
>>著しく頭が悪い人物、となりますが、そのような理解をなさるということでしょうか。それなら仕方ありませんね。
残念な見解を示したのは同意です。ただ、頭が悪いかどうかはわかりません。
物事は色々な方向からみる方がよいと思っていますので、ひろゆきのような視点も大事だと思います。
逆張りすることも有名ですから、わざとかもしれません(さすがにそれはないか・・・?)
ひろゆきの発言が無ければ、ここの場もなく、「差別」について深く考えることもしなかったかもしれません。
せっかく返信頂いたので。
ひろゆきが動画でputainをまず取り上げたのは「後進国の言葉」という誤訳として、この差別問題が大きく話題となったからだと思います。
もしSedo amorさんの言う通り、「デンベレが用いた“putain”は、強調のために、雑談でよく使われる言葉」とするのであれば、
F爺は選手の発言はその用法でないことを知っているのですから、真っ先に否定するでしょう。でも出てきた答えは「判断できない」「門外漢」でした。
そして一般的な用法について反論を展開していきます。となるとF爺は「一般の用法のこと言っていると勘違いをした」と読み取れることになり、最初に誤読したのはF爺になります。
尚、ちょっと話は違いますが、フランスのスポンサー(https://www.pmu.fr/)はグリーズマンへの支援を継続しています。F爺は憤慨していましたが、あの謝罪で問題ないとスポンサーは思っています。
(継続の表明がどこに書いてあるかは見当たりませんでしたが、開くとデカデカと顔が最初に映し出されます。これが何よりの証です。見たくない人は注意)
批判一辺倒でないことをご認識いただければ幸いです。
遅くなりましたが以上です。
comment id : 2579516061562363109
Kyouikutekiさん、
どんな意見にも少しは同意できるところがあると思います。そこで人それぞれ考え方が違う、で終わらせないことが大切です。私はリングの外に出ても戦う派です。何がルールなのか分かっていない人に分かってもらうためです。それと反則技を使われても負けないと思っているので。
感想
私も言いたいと思っていましたが、これだけ論理が大切だと言っているのに、「感想」を言うのはどうかと思って遠慮していました。聞いてくれてありがとうございます。
まず自分の意見は出したり引っ込めたりするものではありません。あまり細かいことは言いたくなかったので、進んだり戻ったりしながら議論していました。よく話が別の方向に行ってしまうのはなぜでしょうか。F爺の記事を引用したり、解説を加えたりしていると、なぜかお互い合意したことになってしまうのも奇妙です。
フランス語が読めるかを聞かれた時点で、警察用語で言う半落ちでした。この時点で話は私の論理が正しいかどうか、でした。F爺の論理がどう正しいのかという話が一切ありません。もはやF爺の方からは正しさを証明することが不可能になっていたのだと思います。そして私の中では記号の論理を出した時点で話は終わっていました。
その反論が「記号は認めない」というのは反則ではないでしょうか?
そのあとは私が出した論理にしたがって、記号を使わずに説明するだけでした。
はっきりした答えはなかったと思います。私のまとめに反論がないということは、つまりそういうことなのだと思っています。とはいえ決めつけは良くないですから、もう少し反論を待ってみましょうね。
私も質問があります。
自分では淡々と冷静に論理を語ってきた、相手の論理に乗った上でその矛盾をつくことができたと思っているのですが、どう思いましたか?
記号①②③のあの説明は言い逃れができないように作ったのですが、うまくできていましたか?
予想通りの反論にうまく答えられたので、私は気に入っています。
comment id : 8850454920350008340
argumenterさん
反論をお望みのようなので。
前提となる部分にて、語るに落ちています。
以下の文言が、そのままひろゆきに対する攻撃になっています。
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ひろゆきに言わせればフランス語の分からない人たちがputainの使い方を議論するのはおかしなことです。
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最新の情報だと、ひろゆきはフランス語の「住民税」と「固定資産税」の区別がついていなかった、と。
即ち、これまで判明している範囲で申し上げると、ひろゆき自身が「フランス語の分からない人」であり、“putain”という語を巡って「論理」なるものを組み立てる前提を欠いていたことになります。
そうなると、ひろゆきがputainの用法について論じるのも「おかしなこと」になりはしませんか。
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